千歳小学校 発祥の地

ちとせしょうがっこうはっしょうのち

神戸線 鷹取駅, 市営地下鉄・山陽電鉄 板宿駅, 神戸線・市営地下鉄 新長田駅。 これら3つの駅のほぼ中間, それぞれ約600mの距離にある。ここに100m四方ほどの千歳公園(須磨区千歳町2丁目2)があって, 南隅に平板状の石碑と二宮尊徳の銅像が設置されている。

この地は平成14年(2002) まで「神戸市立千歳小学校」があったが, 建物の老朽化や児童数の減少のため, 近くの大黒小学校と統合した上で, 旧JR鷹取工場跡に新たに「だいち小学校」を建設して移転した。

千歳小学校は昭和12年(1937) に「千歳尋常小学校」として創立された。発足時の児童数は 1,465名であった。その後「千歳国民学校」を経て, 昭和22年(1947) に「神戸市立千歳小学校」となった。児童数は昭和16年(1941)の 2,444名がピークで, 昭和30年代から減少の一途をたどり, 閉校時には 約200名であった。

統合相手の大黒小学校の歴史は千歳小学校とほぼ同じで, 昭和11年(1936) の創立, 和22年(1947) に「神戸市立大黒小学校」となった。児童数の推移もほぼ同程度であった。

だいち小学校に統合後, 大黒小学校の校舎はそのままの形で「すまいるプラザ大黒」という 地域活動・地域交流の拠点として利用されている。なお 大黒小学校には発祥碑は作られていないようだ。

千歳小学校発祥の地碑に並んで 二宮尊徳像が建っている。尊徳像の台座にはめ込まれていたと思しきレリーフが、発祥記念のプレートとともにコンクリート製の面白味に欠けるシンプルなデザインの碑に併せて配置されている。

写真

  • 千歳小学校発祥の地
  • 千歳小学校発祥の地
  • 千歳小学校発祥の地
  • 尊徳像
  • 千歳小学校発祥の地

碑文

神戸市立
千歳小学校
発祥の地

開校 昭和12年4月
閉校 平成14年3月

二宮尊徳先生幼時の像

喜徳書

此の銅像は兵庫實践少年團長中村直吉氏が本校新築記念に寄贈したもの、表面の題字は前宮内大臣一木喜徳郎卿の揮毫な

昭和十二年七月二十三日

神戸市長 勝田銀治郎

地図

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須磨区千歳町2丁目 付近 [ストリートビュー]