青刻昆布 発祥の地
あおきざみこんぶはっしょうのち
大阪環状線 森ノ宮駅から 西に700m。城西学園高校の北西側に隣接して越中公園(中央区玉造2-24)がある。公園の西側道路沿いに碑が建っている。
“刻み昆布”とは,原料の昆布を煮てから細かく糸状に刻み,乾燥した食品。野菜と煮たり,煮物の具にする。
“青刻み昆布”は,刻み昆布を煮る時に,発色をよくするために青緑色の染料を加えたもので,マラカイトグリーンなどの色素が使われた。現在この色素は食用に使用することが禁止されているので“青刻み”は作られていないが,戦前まではこれが主流であったらしい。
大阪で昆布の加工品が盛んに製造されるようになったのは,享保年間(1720年前後)から,北前船が北海道へ米や酒を売りに行き,戻り船に大量の昆布などを買い付けてきたため,その良質の昆布を加工する産業が発達したためとされる。
最初は利用しやすいように“刻み昆布”だけが製造されたが,次第に “おぼろ昆布”や“とろろ昆布”など 各種の加工品が生まれ,明治以降は 国内のみならず,中国などへも大量に輸出された。
現在も大阪には昆布の加工・販売を行う業者が多く,この発祥碑は 大阪昆布商工同業会 が設立100周年を記念して,平成13年(2001) に建立された。
写真
碑文
青刻昆布発祥の地
昆布加工品の原点である青刻昆布の主産地大阪における創始は一七二一年(享保六年)頃と伝えられる。文化年間に清国(中国)に試売し,一八二〇年頃から販路を拡張,専ら大阪上町台地において製造していた。
一九〇〇年(明治三十三年)には,大阪の刻昆布が国の重要物産品に指定されている。
今日大阪の昆布加工品は,なにわ名物として広く認められ,大阪の食文化に大きく寄与しており,一九九八年(平成十年)には大阪特産物品として国により認証された。
大阪昆布商工同業会(起源は明治三十四年認可の大阪刻昆布製造同業組合)は,平成十三年に百周年を向かえたのを記念してこの碑を建之する平成十三年三月建立
大阪昆布商工同業会
当地は,中嶋豊吉が青刻昆布製造業を営んでいたが,昭和二十三年事業告示の区画整理事業により現在の越中公園になっている
大阪市