芦原温泉 発祥之地
あわらおんせんはっしょうのち
えちぜん鉄道 三国芦原線 あわら湯のまち駅から400mほど西に,小さな公園 温泉発祥地公園がある。公園北側の道路に面して「芦原温泉発祥之地」の碑が建っている。
当初は、最初の発見地の名称から
奥の左手(駅寄り)に 水子地蔵の小さな祠があり,その横に井戸の様なものがあり蓋がされていて,その前に
「芦原温泉発祥湯元 明治十六年九月八日湧出」
と書かれた石版が建っている。
写真
碑文
芦原温泉発祥之地
明治十六年九月八日当町十楽区の川崎弥左エ門 同太右エ門 同長 左エ門三氏が此の地字一番俗称念仏田に灌漑用水の掘貫井を穿った 処微温湯が湧出し翌十七年二月周辺の試掘によって高温度の温泉噴 出を得て芦原温泉発展の基礎となった
昭和三十六年七月三十日
- 芦原温泉区
- 芦原温泉 観光協会
- 泉源保持者一同
- 芦原町
- 堀江十楽区
「立つ処芦原温泉発祥の地」
白山連峰の山々が左右に起伏し、その一角に竹田川の源流がある。やがて九頭竜川とともに穀倉坂井平野を築く。その北端の今立つ処、即ちあわら市堀江十楽字市番が「芦原温泉発祥の地」である。北を山方、南を里方、その中間に位する此の地は芦荻の生い茂る中に水田が開かれ、道らしきものもなく夜ともなれば狐狸の出ブツする淋しい地域であった。
明治十六年は五月から六月にかけて未曾有の旱天続きで県下至る所に水論が絶えず農家に一大恐慌を与えた。川崎直右ェ門、川崎長ェ門、川崎他左ェ門の三氏が相談の末、坂井町蛸の掘抜師、陶山甚兵衛氏を招いて旧九月九日に灌漑用の掘抜井戸を掘ったのである。ところが湧き出た水は湯気を出し、舐めてみると塩分があるので呆気にとられ、早速家に持ち帰り風呂として浴すると大いに五体が休まった。これが十楽温泉として忽ち評判となり一樽いくらで買い出しに来る者もあった。その後、皮肉にも堀江十楽の地には遂に温泉は出ず、隣接する田中々、舟津、二面地籍で大いに発掘され、今日の如き全国屈指の温泉街として繁栄するに至った。
ここに堀江十楽、神明神社から薬師如来を遷座し、碑を建てて、芦原温泉発祥の地として永く記念する所以である。昭和五十一年八月一日 新設
平成二十年八月一日 改定芦原温泉三区会