備前 長船 刀剣 発祥之地①
びぜんおさふねとうけんはっしょうのち
赤穂線 香登駅から南西に2km。“備前長船刀剣博物館”から西へ500mの 天王公会堂前の道路が吉井川沿いに走る国道2号線にぶつかる地点に建つ。そう遠くない場所に双子のような石碑が建っている。と思っていたら、その中間あたりの
いずれも“備前ライオンズクラブ”の名前が入っており, 外観もほとんど同じであり,おそらく同時期に立てられたものと思われる。どうして2つの碑があるのか事情はわからないが,800mほどしか離れていないし、そもそも同じデザインの石碑なので本家争いをしているとも思われず,不思議である。
備前・備中地方は 古くから日本の刀剣造りの中心であった。 鎌倉時代から室町時代にかけて,吉井川流域に“福岡一文字派”“長船派”などの流派が生れ, 名工が多数輩出された。現在、国宝に指定されている刀剣の半数は備前で造られたものと言われる。
長船町には“備前長船博物館”があって,長船で造られた刀剣の一部が展示され, 刀剣の歴史や製法が展示されているほか,工程に応じた工房があって実演されている。また 博物館から250mほど南東に「造剣之古跡」と刻まれた高さ5mほどの 大きな石碑が建っている。
なお,長船町は 2004年に周辺の邑久町・牛窓町と合併して瀬戸内市となった。
写真
碑文
備前長船刀剣発祥之地
備前ライオンズクラブ
造剣 之 古跡 碑 大正十四年(1925)九月備前長船の史跡を保存し,その偉業を後世に伝えるため
横山元之進佑定 は, 私財を投じて自分の屋敷に造剣の碑を建立した。
碑の高さは五㍍,刀をかたどり,きっ先を空に向けて建てられている。 刻まれた『造剣之古跡』の文字は,犬飼木堂 翁の筆跡で力強く, 碑の裏には,山本梅涯 氏筆により『大正十四年九月友成 後裔 横山元之進佑定健』 と刻まれている。
この碑はもと,佑定の屋敷の中央に建てられていたが, 昭和三十四年(1959)正月に現在地に移転された。瀬戸内市教育委員会