月ヶ瀬 梅林 発祥の地

つきがせばいりんはっしょうのち

JR関西本線の月ケ瀬口駅より南に6Km。月ヶ瀬中学校から500m程南西に高野山真言宗の寺・真福寺があり、寺の境内に「月ヶ瀬梅林発祥の地」と書かれた案内板が建っている。

月ヶ瀬は奈良県の北東にあり、京都府・三重県と接している。以前は月ヶ瀬村であったが、2005(平成17)年に奈良市と合併して地名は奈良市となったが、地理的にも経済的にも三重県伊賀市との結びつきが強い。

月ヶ瀬梅林は 東西に流れる名張川(木津川の支流)沿いに広がる梅林で“月ヶ瀬梅渓”とも呼ばれる。古くから有名な梅林で、1922(大正11)年に国の名勝に指定され ている(奈良公園・兼六園とともに日本最初に指定された国の名勝)。1万3000本の梅が見頃を迎えると遠方からも多くの観光客が訪れる。

月ヶ瀬は、明治時代以前には烏梅うばい(若い梅の実の燻製で、紅花染めの媒染剤となる)の一大生産地であり、月ヶ瀬梅林は烏梅の原料となる梅の実を収穫する用途で規模を拡大していった。最盛期の江戸時代には10万本の梅があったとされる。しかし、20世紀に入ると合成染料の発達により、烏梅はほとんど生産されなくなり、月ヶ瀬梅林は観光資源としての利用や食用の青梅の栽培に転換された。

その烏梅の起源について次のような伝承がある。

元弘の乱(鎌倉幕府討幕運動)で大敗を喫した後醍醐天皇が笠置山から撤退する際、一緒に逃げてきた女官の一人(姫若)が月ヶ瀬に逗留した。姫若は熟れた梅の実を見て、京で使用される紅花染め用の烏梅の製法を教えたという。

深い渓谷にある月ヶ瀬には耕作地として利用できる土地が少なく、年貢米を納める余裕がなかったため、換金作物としての烏梅の生産は急速に普及し、15世紀ごろにはこの地一帯は烏梅を作るための梅林で埋め尽くされたとされる。

真福寺には“姫若の梅”と呼ばれる梅の木があり、次のような石碑が添えられている。

姫若ひめわかの梅

 元弘二年(1331)後醍醐天皇が笠置山に遷幸されし折リ、この地に難を避けるべく逃げる途中、 生根尽き園生森でたおれていたところを村人に助けられ、姫は村人に感謝し、真福寺の境内に 梅の木を植え烏梅うばい(染色の原料)の製法を教えたのが梅林のはじまりとされる。

月ヶ瀬梅林発祥の地の看板姫若の梅の碑

写真


旧URL
http://hamadayori.com/hass-col/culture/TukigaseBairin.html

碑文

月ヶ瀬梅林発祥の地

真福寺

地図

地図

奈良市月ヶ瀬尾山 真福寺 付近 [ストリートビュー]