日本茶樹栽培 発祥の地
ちゃじゅさいばいはっしょうのち
長崎本線 中原駅から西に400m。佐賀県道31号(佐賀川久保鳥栖線)を上峰町から吉野ヶ里町に入る手前の道路脇に,吉野ヶ里町が設置した「日本茶樹栽培発祥の地」の看板がある。
わが国におけるお茶の栽培は,鎌倉時代の建久2年(1191) に臨済宗開祖・栄西禅師が宋への留学から帰国した際に, 布教のため肥前の霊仙寺(現・吉野ヶ里町)に滞在し,茶樹の種を播き茶の製法を伝授したのが始まりとされる。
現在では霊仙寺跡にわずかにな茶園が残されているのみだが,当時は霊仙寺一帯には9反5畝の茶園があったとされる。現在は周辺の山裾一面に茶畑が広がっている。
当地から国道(笑)385号で7kmほど北上し、そこから10分ほどハイキングして辿り着く霊仙寺(跡)は現在“乙護法堂”の一堂が残されているのみだが,堂の近くには「日本最初之茶樹栽培地」の石碑があるという。
なお,この発祥の地の看板は 吉野ヶ里町が設置したものだが,設置場所を地図でみると,隣の上峰町側にあるようである。
写真
碑文
日本茶樹栽培発祥の地
吉野ヶ里町