秩父 霊場 発祥の地

ちちぶれいじょうはっしょうのち

秩父鉄道本線の御花畑駅から西に300m。今宮神社の入口に掲げられた大きな看板に「秩父霊場発祥の地」と書かれている。また境内にある県の天然記念物に指定されているケヤキの大木の空洞前に「秩父霊場発祥の地」と書かれた古い木碑が建っている。かなり風化しており文字はかろうじて読み取れる状態である。

「秩父霊場」は「秩父観音霊場三十四ケ所」を指す。「観音霊場」だから当然観音菩薩を祀る寺を巡礼するものだが、今宮神社。どうなっているのか不思議に思ったが、実は今宮神社に隣接する「長岳山今宮坊」が秩父観音霊場の第14番なのだという。

今宮坊はかつて「長岳山正覚院金剛寺」といい、京都聖護院直末の寺で神仏習合により今宮神社と一体のものだったが、明治維新後に神仏分離によって今宮神社から分離され、現在は住宅に囲まれた所に観音堂のみがある。

したがって看板の表示にある「秩父霊場発祥の地」は、神仏習合時代の今宮神社=今宮坊を指すものであり、修験道の道場として栄えたこの地から秩父観音霊場が始まったことを意味するものと思われる。

今宮神社と今宮坊の由来について以下のような説明が書かれている。

今宮神社(旧今宮坊・八大社・八大権現社)について

      略記

 今宮神社は、その前身を長岳山上覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この両寺創立以前からこの地に、伊邪那岐大神、伊邪那美大神が祀られていました。大宝年間(701~704)には、役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地に、飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以って行われ秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。

 奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神,足産日神・事代主神・玉積産日神・御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社と観音堂(十一面、後に聖観音)を創建。相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より須佐之男命(すさおのおの命=健康神・樹木神)を勧請して今宮神社を創建しました。

 永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末「長岳山今宮坊」と称し諸国先達二十九寺の一として又本山派年行事職として栄えました。

 降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地十石、除地七石を賜り、組下四十九寺を結集して秩父霊地の発展に務め、現六十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに「江戸開帳」を行って、江戸-秩父間の交通路を拡き、秩父三十四札所の紹介と発展に高検したと伝えられています。

 明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現十四番)に分けられ、更に昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の生神社に寄進され、境内地も境内建物も縮小のやむなきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社法、古地図、古文書、歴代の別当、宮司の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。

     (後略)

    平成五年四月
        今宮神社宮司(今宮坊二十世) 塩谷太刀雄敬白

木碑は撤去(2017.2)

木碑のあった場所を主な碑の位置として紹介していましたが、撤去され木彫の観音像が安置されています。

写真

  • 秩父霊場発祥の地 今宮神社(2017)
  • 秩父霊場発祥の地(2017)
  • 秩父霊場発祥の地 (2017)
  • 秩父霊場発祥の地 今宮神社(2017)
  • 秩父霊場発祥の地 今宮神社(2017)
  • 秩父霊場発祥の地 朽ちそうな木碑は撤去され木彫りの観音像が安置されている(2017)
  • 秩父霊場発祥の地 靇神木(2017)
  • 秩父霊場発祥の地
  • 秩父霊場発祥の地
  • 秩父霊場発祥の地

碑文

秩父霊場発祥の地

地図

地図

秩父市中町 今宮神社 付近 [ストリートビュー]