日本通貨 発祥之地

にっぽんつうかはっしょうのち

 
撮影:
2006年3月(写真提供 T.K.さん)、
2017年3月

秩父鉄道本線 和銅黒谷駅の東方 約500m。駅に向かい合う“和銅山”のハイキングコースの 登り口付近に、日本最初の貨幣といわれる「和同開珎わどうかいちん」をかたどった高さ4~5mもある 大きな記念碑が建ち、「日本通貨発祥之地」と書かれている。

奈良に都が遷される前、国力を富ませるためには 金銀銅などの鉱物資源が必須であると認識し、鉱物の発見することを全国民に奨励した。天皇は 新羅からの渡来人で 鉱業の知識を持った金上旡こんじょうむ等を各地に派遣し、秩父・黒谷のこの地で 和銅(純度が高く精錬を必要としない自然銅)を発見した。 報告をうけた朝廷は、年号を和銅と改め(西暦708年)、貨幣「和同開珎」を発行した。
(2年後には 平城京への遷都が行われた。)

この「通貨発祥の地」の意味は 「和同開珎の材料である 和銅がここで産出された」 ことを記念したもので、「和同開珎の鋳造がここで行われた」ということではない。

和同開珎の鋳造場所については、京都・加茂町に「銭司和同開珎鋳造遺跡」が、下関市長門にも「和同開珎鋳銭所址」があり、また「河内鋳銭司」という官位もあったようで、各地に分散していたのか 時代によって移り変わったのか はっきりしない。

和同開珎は 直径約24mmの円形の貨幣で、中央には約7mmの正方形の穴が開いている。 表面には 「和同開珎」の文字が表記され 裏は無紋。 この形式は 唐の国で発行されていた「開元通宝」を模したものといわれ、現在の貨幣価値に換算すると 1000円ぐらいだったのではないかと思われる。

聖神社も見てきた

和銅遺跡の麓、国道140号から見える聖神社は、和同開珎ゆかりの神社として銭神様と呼ばれ親しまれている。見られなかったが銅の百足ムカデ像も保管されているらしく、金運アップの話題に事欠かない。

絵馬も和銅型で、徹底しすぎて笑ってしまうほどだが、誰もが大真面目な祈りの場なのだ。

駅にも碑がある

秩父鉄道 和銅黒谷わどうくろや駅ホームにも似た形の碑がある。


記事初出時は「黒谷駅」だったが、2008年(平成20年)、和銅奉献から1300年を記念して「和銅黒谷駅」に改称した。

写真

  • 日本通貨発祥の碑
  • 日本通貨発祥の碑
  • 和銅露天掘り跡 案内
  • 和銅遺跡 案内
  • 日本通貨発祥の地 和同開珎 高さ5m
  • 日本通貨発祥の地 背面 大きさがわかります
  • 和銅遺跡 案内駒札
  • 和銅遺跡への入口
  • 和銅露天掘りと聖神社の案内
  • 聖神社 拝殿
  • 絵馬は、絵銭だったw
  • 和銅遺跡入り口説明
  • 和銅遺跡説明板

碑文

日本通貨発祥の地

埼玉県指定文化財旧跡  和銅遺跡

秩父が史上で有名になったのは奈良時代に和銅奉献の記事が続日本紀にあらわれてからであります。

元明天皇の慶雲5年正月12日、武蔵国秩父郡内より差出された 自然銅は、郡司から朝廷に献上されたものです。発見者は新羅から 帰化した「金上旡」と云われております。

発見地や産出地などは諸説がありますが、この地(秩父市黒谷地 内……旧原谷村大字黒谷)祝山が発掘の地と思われます。この山 は秩父古生層と第三紀層のあわさり目で、たまたま自然銅が地上に露出したものを里人が見つけたものですが、帰化人も多く住んでい たことからこれが銅とわかったもののようです。この山や附近には 露天掘跡や銅洗堀とか、殿池・和銅山と云う地名が残されております。

又、近くに自然銅を神体とする聖神社や、和銅宝物館などがあり ます。和銅山の南方山続きに金山と呼ばれる一連の山塊がありますが、江戸期に採掘されたと思われる銅の選鉱場・精錬所跡・散在す るタガネ掘りによる横穴坑などがありますが、和銅沢・蔵人屋敷の地名もこのあたりにのこされております。

和銅奉献によって朝廷は年号を和銅と改め、更に大赦や課税の免除など行いました。この後我が国最初の貨銭「和同開珎」が鋳造されたのも歴史上非常に意義深い出来事であります。

    昭和36年9月1日指定
埼玉県教育委員会
秩父市教育委員会

地図

地図

秩父市黒谷 付近