西国 三十三ヶ所 霊場 発祥地
さいごくさんじゅうさんかしょれいじょうはっしょうち
紀勢本線 那智駅から北西に2.3km。那智山(那智大滝)方面に向かい, “井関駐在所前”バス停付近, 北東の旧道に面して, 「西国三十三ヶ所霊場発祥地」と書かれた霊園の看板が掲出されている。
「西国三十三ヶ所霊場発祥地」とは, この地の“那智山青岸渡寺”が 西国33ヶ所霊場の“第1番”札所であるために このように呼ばれたのかと思われるが, 西国33ヶ所の順番は たまたま和歌山県の南端を1番として 近畿地方を一廻りして 最後に岐阜県までの33寺院 (正確には“番外”があるので36ヶ寺)を, 地理的な並びの順に番号がつけられたもので, 青岸渡寺が最初に西国三十三ヶ所に指定されたわけではない はずである。
したがってここが「発祥地」と称するのは 少々言い過ぎ……と言うか, 意味の取り違いではないだろうか。
(西国三十三ヶ所霊場の寺名と所在地は 「三十三所MAP」のサイトを参照」)
日本では 仏教寺院の霊場巡りが盛んに行われるが,「西国三十三ヶ所霊場」は 近畿地方に分布する 日本で最古の観音巡礼霊場である。和歌山→大阪→奈良→京都→兵庫→滋賀→岐阜 と7府県を巡る。
その由来は, 奈良時代の 718(養老2)年に, 長谷寺を興した徳道上人が病のため死にかけた際に, 冥土の入口で閻魔大王に会い, 「世の中の悩み苦しむ人々を救うために, 三十三ヶ所の観音霊場をつくり, 人々に巡礼をすすめるように」との託宣を受け, 現世に戻された。これに従って霊場を定めたものと言い伝えられている。 しかし この時には まだ世間の信用が得られず, あまり普及しなかった。
第65代花山天皇(在位:984~986年)は 19歳で退位して法皇となり, その後比叡山で修行し 観音霊場を巡拝した。これがきっかけで 途絶えていた観音巡礼が再興された。
史実として記録されたものとしては, 1090(寛治4)年の 三井寺の僧 行尊による「観音霊場三十三所巡礼記」が 最初とされる。(この時の巡礼の順番は, 第一番は長谷寺, 第三十三番は三室戸寺であった。)
江戸時代になると 観音巡礼の風習が広まり, 関東の「坂東三十三ヶ所」や「秩父三十四ヶ所」と併せて 「日本百観音」と言われるようになった。 これにより近畿地方の観音巡礼は「西国三十三ヶ所」と呼ばれるようになり, 熊野詣でから巡礼を始める人が多かったので 第一番が紀州の青岸渡寺に, 東国への帰路に着きやすいということで 第三十三番が美濃国の華厳寺という 現在の巡礼順になった とされる。
【リンク】西国三十三ヶ所霊場
追記 2016/02
情報によると、当地は開発が進行しており、当表示は撤去または移設され、当地には無いようです。
写真
碑文
西国三十三ヶ所霊場発祥地
那智 ふだらく霊園