第一蹴の地
だいいっしゅうのち
叡山電鉄 出町柳駅から北に800m。下鴨神社の境内にある社叢林は“
森の南から“河合神社”を抜けて北に100mほど進むと,“馬場”と呼ばれる通路の西側に 高さ1m・幅2.3mほどの自然石の石碑があり「第一蹴の地」と書かれている。
この地は,関西におけるラグビーの発祥地である。日本のラグビーの起源は,明治33年(1899) に英国人 E.B.クラークが慶応大学で指導したことに始まる。明治43年(1910),京都大学の前身である旧制第三高等学校に創設されたのが,関西で最初(国内2番目)のラグビーチームであった。
当時国内唯一のラグビー部を持つ慶応義塾では試合相手がいないため,横浜居留地の外国人と練習していた。慶応の真島進が 下鴨神社近くに下宿していた親戚の三高生・堀江卯吉を訪ね,その友人たちと共に糺の森の馬場で一緒に練習し,これがきっかけとなって 三高蹴球部の始まりとなった。翌年の明治44年(1911) には 慶応と三高が対戦し,これが日本人同士の最初のラグビー試合だった。
この碑は 旧制三高の蹴球部OBによって,昭和44年(1969) に建立された。
なお,蹴球(=フットボール)とは,革のボールを足でけって勝負を争う競技の総称で,ア式蹴球(サッカー)・ラ式蹴球(ラグビー)・米式蹴球(アメリカンフットボール)などがある。昔は蹴球といえばラグビーを指していたが,近年は一般的にはサッカーを指す。早稲田大学では現在でも,サッカー部は“ア式蹴球部”,ラグビー部は“ラグビー蹴球部”を正式名称としているとか。
写真
碑文
第一蹴の地
篤太郎書
明治四十三年九月
第三高等学校生徒
堀江卯吉中村愛助
相馬竜雄玉置徐歩
は慶応義塾塾生真島進の
指導によりこの地ではじめて
ラグビー球を蹴る
こうして三高蹴球部が
生れこゝに日本ラグビー界の
輝かしい歴史が始った
昭和四十四年十月五日
第三高等学校蹴球部