紫葉漬と大原女の発祥の地

しばづけとおはらめのはっしょうのち

京都バスの大原停留所から北西に1km。寂光院門前の小広場に「紫葉漬と大原女の発祥の地」と書かれた灰色の石碑が建っている。

寂光院は平徳子(平清盛の娘で高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母)が,平家一族が壇ノ浦で滅亡した後も生き残り,侍女の阿波内侍とともに尼となって ここ大原の寂光院で余生を送った。寂しく隠棲した建礼門院は,地元の住人が慰めのために持ち寄った漬物を大変気に入り,“シソの入った漬物”という意味で「紫葉漬しばづけ」と名付けたと伝えられる。

“紫葉漬”は“柴漬”と書かれることもある 京都の伝統的な漬物で,“すぐき”“千枚漬”と並んで京都の三大漬物と言われる。刻んだ赤紫蘇の葉と茄子を塩漬けにし,紫蘇の赤紫色が鮮やかで酸味が強い。元来は京都の漬物であるが,日本全国 各地で販売されているほど人気の高い ポピュラーな漬物でもある。
本来は ナスとシソの葉と塩だけを材料に,酸味は乳酸菌の発酵によるものだけであり,熟成まで1年近くかかるとされるが,現在は キュウリやミョウガなどの材料を入れたり,また 酢漬けにされるものが多い。

大原女おはらめ」は,薪や柴などを頭に乗せて京都の街で売り歩いた大原の女性の姿をいう。 建礼門院に仕えた阿波内侍が山野へ出る作業着姿が今に伝わったと言い伝えられている。大原は京都の北,高野川上流の八瀬以北を指し,山に囲まれた狭い盆地で,古くから薪・柴・炭などを産出し,京の街に売り歩く独特な姿は,古くから和歌にも詠まれ,洛中洛外図にも描かれている。はじめ大原女は炭を売っていたが,炭の産地が他に移ったため大原は薪の供給地として有名となり,大原女も多くは薪を売り歩くようになった。

大原女の風俗は,髪を束ねて白の手拭をかぶり,黒の小袖に紅白の細い帯,白の手甲・脛巾はばき草鞋わらじをはいて,薪を頭上に載せる,という独特の服装をしていた。

現在,大原女の姿はこの地でもあまり見ることはなったが,地元の大原観光保勝会が風俗保存に力を入れ「大原女まつり」で衣裳貸出しを企画,若い女性に人気を博しているという。

京都で行商をして働く女性は大原女の他に,白川女しらかわめ(=花売り)・畑が姥はたがうば(=梯子や床几しょうぎ売り)・桂女かつらめ(=鮎売り,後に飴売り)などがあったという。

写真


碑文

紫葉漬と大原女の発祥の地

寂光院 瀧澤智明

 平安の昔寂光院に住まわれた建礼門院が,大原の里人から献上された夏野菜と赤紫蘇の漬物の美味しさに感動され,「紫葉漬け」と名づけられたと伝えられています。
本来,紫葉漬とは夏野菜と赤紫蘇を指します。そして,使われる赤紫蘇は,大原盆地で繰り返し栽培されている為,原品種に近く,香り品質ともに,最上級と言われています。
この赤紫蘇を使って大原で漬けた紫蘇漬は京都府の伝統食品(京つけもの)の認定を受けています。
 また,建礼門院の女官阿波内侍のお姿が,ルーツであると伝わる大原女は,数々の書画や文献に残され,大原伝統文化の象徴として大原観光保勝会が保存に務めています。
 この度の建礼門院の八百年御遠忌に因み,大原のしば漬業者,赤紫蘇に縁のある者が,こぞって建礼門院の遺徳をしのび御恩に感謝の気持ちを表し,記念碑を建立して,後世に伝えるものです。

平成二十五年四月十五日

発起人 大原観光保勝会
協賛  土井健資 久保 勝 奥田和巽 前川長生 辻 照雄 奥 典郎 守口英昭 辻 美生

「大原女の」の「の」の字は変体仮名「能」

紫葉漬と大原女の発祥の地 碑紫葉漬と大原女の発祥の地 碑

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京都市左京区大原草生町 付近 [ストリートビュー]