大施餓鬼会 日本最初之道場

だいせがきえにほんさいしょのどうじょう

地下鉄海岸線の和田岬駅から北西に600m。兵庫運河に架かる清盛橋の南に時宗の寺・薬仙寺がある。本堂に向かって左手に背の高い茶色の石碑が建ち、「大施餓鬼会日本最初之道場」と刻まれている。

薬仙寺は、奈良時代の天平18年(746)、行基によって建立されたと伝えられる。元は天台宗だったが延文元年(1356) に時宗に改宗した。元弘3年(1333) 後醍醐天皇が隠岐島を脱出して兵庫に着いたとき、薬水を献上したところ病が回復したという伝説があり、これが“薬仙寺”の名称の由来となっている。また平清盛が後白河法皇を幽閉した「萱の御所」(別名牢の御所)の跡もある。

施餓鬼せがき」とは「餓鬼に施す」こと。死後餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を施し、その霊を供養する儀礼のこと。盂蘭盆として旧暦7月15日に行われるのが一般的。

この寺は日本で最初に施餓鬼供養をしたと言われるが、詳しい事情は不明である。絹本着色の“施餓鬼図”一帳が国の重要文化財に指定されている。

写真

  • 薬仙寺
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  • 大施餓鬼会日本最初之道場
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碑文

大施餓鬼会日本最初之道場

地図

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