日本最初の 鉛筆製造の地
にっぽんさいしょのえんぴつせいぞうのち
北陸本線
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— くらりん (@kura_126) July 23, 2017
写真
碑文
大聖寺松島合資会社ノ如キ名誉ノ歴史ヲ有スル…
日本最初の鉛筆製造の地
明治八年、江沼郡山中温泉の片谷村で良質の黒鉛が発見されたことで、元大聖寺藩士の飛鳥井清と柿澤理平が中心となって、明治十年十二月に大聖寺松島町の一角に、鉛筆製造会社「加州松島社」が創業された。当時の国内での鉛筆製造会社の多くが明治二十年以降に創業されたことを考えると、松島社は日本で最も早い時期に鉛筆を大量生産した会社といえる。松島社が製造した鉛筆は明治十六年のアムステルダム万国博覧会で第一級第一等賞を獲得し内国勧業博覧会にもたびたび出品するなど舶来品に劣らない優秀なものと評価された。しかしながら、その後、中心となっていた飛鳥井清や柿崎理平が相次いで死去したことや在京の鉛筆製造会社や舶来品との競争激化により明治三六年に廃業に追い込まれた。同年に発刊された『第五回内国勧業博覧会審査報告書』には「明治ノ初年、士族授産金ヲ利用シ始メタ鉛筆ノ製造業ヲ起コシタル石川県大聖寺松島合資会社ノ如キ名誉ノ歴史ヲ有スルモノニシテ出品セザレシハ斯業ノ為ニ惜シムベキナラズヤ」と記録されている。
建立 大聖寺ふるさと人物顕彰会
平成二七年三月吉日