深沢学校 発祥の地
ふかさわがっこうはっしょうのち
深沢不動交差点から南の区民センターの方に進むと, 商店街の一角に 「深沢学校発祥の地」と刻まれた 小型の石碑が建っている。
世田谷区の“玉川地団協”から発行された“世田谷ふるさとめぐり・てくたくぶっく”には、この場所は 深沢小学校が校舎を新築して医王寺から移転してきた場所であるという旨の説明が書かれている。
なお、発祥地である近所の医王寺(世田谷区深沢6-14-2)には、「深沢小学校発祥之地」碑があり、どちらも深沢小学校の話となっている。医王寺時代は荏原学校分校で、当地に移転して初めて深沢小学校を名乗ったということを記念しているのだろう。
写真
碑文
深沢学校発祥の地
世田谷区
玉川地団協
深沢学校発祥の地
明治11年3月医王寺に, 深沢小学校の前身である(寺子屋式の)荏原第二分校が開校しました。 当時は医王寺の座敷15坪(約50㎡)を教室として, 30名ほどの子供が勉強する学校でした。 その後子供たちの人数も増えはじめたので, 村の有志の人々約60名が資金を出しあって新たに土地を借りて新校舎を建て, 明治12年7月, ここに深沢小学校として開校しました。 教室の天井は竹であんだアンペラ(日覆い)で, 頭がつかえるほど低いも のだったそうです。 しかし, 独立校をもった村の人々は大喜びで, 開校の日は校門前でおはやしをして祝ったそうです。 この学校も明治19年には修業年限4年の尋常科がおかれ, 公立深沢尋常小学校と改められました
『てくたくぶっく』世田谷区 玉川地団協