学生歌 デカンショ節 発祥の地
がくせいかでかんしょぶしはっしょうのち
内房線の館山駅から北に1.2km。館山駅から県道302号を北に向かい,館山八幡郵便局の100mほど先に大幸園茶舗(八幡525-7)という店がある。その向い側に碑が建っている。
デカンショデカンショで半年暮らす ヨイヨイ
あとの半年ゃ寝て暮らす ヨーイ ヨーイ デッカンショ
「デカンショ節」は明治末から広く全国で歌われ,特に学生の間で愛唱された歌である。しかし近年はバンカラ風が流行らなくなったせいかほとんど聞かれることがなくなった。今の若い人たちはこの歌を聞いたことのない人も少なくないかもしれないが,兵庫県篠山市周辺では今も,デカンショ節が盆踊り歌として歌われているという。
デカンショ節は古くから篠山地方で歌われていた“みつ節”が変形したものであると伝えられる。節はデカンショ節とほとんど同じで,歌詞は単純素朴でハヤシ言葉は地域によって異なっていたという。
“デカンショ"の語源については多くの説があって定説はないようだが,篠山町七十五年史で『学生たちが,有名な三人の哲学者 デカルト・カント・ショウベンハウエル の頭文字をもじった』という説を採ったため, この説を採る人が多いようだ。(ただし25年後に発行された篠山町百年史では『はやし言葉にすぎず特別の意味を持たない』と変化している)
丹波篠山のローカルな民謡が「デカンショ節」となって全国に普及したきっかけは 次のようないきさつがあったと言われている。旧篠山藩では 明治維新後に学問を奨励し,東京に寄宿舎を作り優秀な学生を遊学させた。彼等 篠山からの学生達は夏になると千葉県の八幡の浜で過ごしていた。明治31年(1898) の夏,宿泊先の江戸屋の二階で郷土の盆踊り歌を大声で歌ってていたところ,たまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員達がこの歌を聞きつけ,意気投合して歌の指導をうけた。これが東京に戻ってからも歌われて,多くの学生たちによって愛唱されるようになった,という。
写真
碑文
学生歌
デカンショ節発祥の地江戸屋旅館跡
館山市長 半澤良一
明治三十一年夏 旧制第一高等学校(一高)の水泳部は,地元館山の人々の好意と協力により 江戸屋旅館に夏季合宿の本部を開設した
あたかもそこは 丹波篠山の旧藩主 青山忠允子爵の常宿であった これが奇しき縁となって 丹波篠山の民謡「デコンショ」が塩谷 温ら一高水泳部委員に教え伝えられ 「デカンショ節」となって全国の学生にひろがったのである昭和三十五年十一月吉日建之
旧一高水泳部OB
館山市観光協会
兵庫県篠山地方観光協会