ゲートボール 発祥の地
げーとぼーるはっしょうのち
根室本線
ゲートボールは昭和22年(1947)、芽室町で製パン業を営んでいた鈴木栄治氏(のちに和伸に改名)が、戦後、物資不足の中で子供たちが遊べるものがないか考えたのが始まり。進駐軍の兵士が遊んでいたヨーロッパの伝統的な競技「クロッケー」をもとにスティックとボールを手づくりし、考案したという。鈴木氏は、旭川で製造された道具をもとに、パン工場の空き地でルール作りに励んだ。翌年には北海道レクリエーション促進協議会とともに初代ルールブックを発行、実用新案としても出願した。これが公式に確認され、記念碑が建立された。
ゲートボールは手軽で体力的な負担も少ないという特性から、高齢者を中心にひろがり、国内だけでなく50以上の国と地域に普及し、国際的スポーツへと成長した。また全国高等学校ゲートボール選手権大会が3人制で開催され、全国の約7校で競われている。
碑が建てられた翌年の昭和62年(1987) から毎年、碑がある芽室公園を中心に「発祥の地杯全国ゲートボール大会」が開かれている。
鈴木氏は、碑の建立や全国大会開催を見ることなく昭和58年(1983) に永眠したが、公園内の健康プラザに、鈴木氏の胸像も建てられている。また、石碑だけでなく、帯広市と清水町に挟まれた同町を横断する国道38号線の町境にそれぞれ、ゲートボール発祥の地をアピールする看板を、十勝観光連盟が開村90周年を記念して設置している。
帯広市をはさんだ東側の幕別町はパークゴルフ発祥の地として知られる。
- ゲートボール連合
http://gateball.or.jp/ - 世界ゲートボール連合
http://www.gateball.or.jp/jguweb/wgu/
写真
碑文
ゲートボール発祥の地
創始者 鈴木和伸
ゲートボール発祥の地記念碑
ゲートボールの創始者鈴木和伸氏は、昭和二十一年芽室町に移住、戦後の厳しい世相の中で、人々に健全なレクリェーションをと日夜研究と試作を重ね、遂にゲートボール競技を考案、その普及に努めた。今や日本のみならず広く世界へと普及発展し親しまれているゲートボールの創始者鈴木和伸氏の偉大な業績を讃え、老人クラブ連合会及びゲートボール協会は、こゝにゲートボール発祥の地として記念碑を建立する
昭和六十一年七月
芽室町ゲートボール協会長 高道竹二郎 建立
河西郡芽室町長 中原孝一 撰文