技術立国 発祥の地
ぎじゅつりっこくはっしょうのち
東海道本線
後に欧州勢を苦しめることになるトヨタ自動車の礎となる豊田自動織機を開発した豊田佐吉が生まれたのが、この新居町の地であり、関所跡の案内と並んで紹介されている。そして佐吉の長男である喜一郎は、父の開発精神を受け継ぎ、貨物車から乗用車の製造を始めた、トヨタ自動車の祖である。この両人の生誕地であることから、湖西市は技術立国発祥を名乗っている。
佐吉は突然自動織機を手がけたわけではなく、そこに至るまでの間に人力織機・動力織機などを開発していた。
碑文にもあるように実際には新居町の山口という地域で生まれており、当地から北西へ4kmあまりの場所には豊田佐吉記念館(湖西市山口113-2)も設置されている。
なお、自動車製造会社はトヨタ自動車だが、佐吉・喜一郎らの姓は「とよだ」である。そして㈱豊田自動織機は、現在でも織機の製造をしているほか、エンジン製造やトヨタRAV4の製造も手掛けている。
浜名郡
写真
碑文
ようこそ『技術立国発祥の地』湖西市へ
Welcome to KOSAI Bem vindo em KOSAI2017年2月14日
佐吉
生誕150年2014年6月11日
喜一郎
生誕120年豊田佐吉・喜一郎が生まれたまち
豊田佐吉(とよださきち)
1867~1930(慶応3年~昭和5年)
湖西市山口に出生「発明で社会の役に立とう。」と母の機織りの姿を見て独学で豊田式木製人力織機を発明しました。
その後も次々と発明を成し、1924年に世界で最高性能の完全なる無停止杼換 式豊田自動織機(G型)を完成しました。日本の織布業を世界的レベルに躍進させ、日本の機械産業の発展、産業の近代化に大きく寄与し、1985年「日本の偉大なる発明家10人」に選ばれました。豊田喜一郎(とよだ きいちろう)
1894~1952(明治27年-昭和27年)
湖西市山口に佐吉の長男として出生父 佐吉のモノづくり理念を受け継ぎ、「日本人の頭と腕による国産自動車の実現」という夢を掲げ、多くの仲間たちと自動車事業の確立に挑戦しました。1935年にG1トラック、1936年にAA型乗用車を開発するなど、日本の自動車産業の振興に絶大な貢献をしました。