我国 ゴム工業 誕生の地
ごむこうぎょうはっしょうのち
上野駅から東に500m。上野小学校の門の手前左側の植え込みの中に, 黒御影石の碑が建っている。
天然ゴムは“ゴムの木”の樹皮に傷をつけ 流れ出る樹液を固めたもの。最初にゴムを利用したのは南アメリカのアステカ・マヤ文明であり, ヨーロッパへはコロンブスが持ち帰ったといわれる。
ゴムの弾性を利用した製品が作られるようになったのは19世紀になってからで, グッドイヤーが加硫法を発明してから。やがて自動車タイヤとして需用が拡がった。現在では 合成ゴム全盛時代となり, 天然ゴムの比率は2%程度に低下している。
日本における近代的ゴム工業は, 明治19年(1886)に「土屋護謨製造所」によって加硫ゴムの生産に成功したことに始まる。(大正6年(1917)に「三田土ゴム工業」となり, この地に木造3階・地下1階の当時としては大規模な工場を建設し, テニスボール(軟式のゴムボール)・野球ボール(軟式)・消しゴムなどの新しいゴム製品次々に開発した。
三田土ゴム工業は, 終戦直前の1945(昭和20)年に昭和ゴム工業に吸収合併された。
写真
碑文
我国ゴム工業誕生の地
明治十九年(1886年)十二月ニ日蝦夷松前藩士であった土谷秀立 田崎忠篤 田崎忠怒 田崎長国の四兄弟が 日本で始めてゴムの熱加硫法に成功し 土屋護謨(ゴム)製造所を東京市浅草区神吉町十五番地(現東京都台東区東上野五丁目十五番地)に創設した この製造所は 後年発展を重ね三田土ゴム製造株式会社に改組されたが エボナイトの製造をはじめ幾多の技術的開拓は 今日隆盛を極める我が国ゴム工業の大きな礎石となっている ここに日本ゴム工業史上不滅の功績を讃え 有志一同相謀り誕生の地に建碑し永く後世に伝えるものである
台東区長 上森 貢 撰文並びに謹書
昭和四十六年三月吉日
日本ゴム工業会
三田土会建立