漁網 発祥の地
ぎょもうはっしょうのち
越後線 荒浜駅の西北西 約2km。荒浜漁港の内側,国道352号 北陸道の海岸寄りにある道路の脇に,柏崎青年会議所が建てた独特の形状の“まちしるべ”碑がある。
江戸時代,北海道江差地区ではニシン漁が盛んに行われた。最初はタモ網ですくうという原始的な方法を採っていたが,17世紀後半に越後荒浜の牧口庄三郎という人物が松前に渡って,越後で利用されていた刺網(あぞ網)を紹介したことにより革新をもたらした。
あぞ網は麻でできた丈夫な漁網で“藁製刺網”とも呼ばれる。網作りは越後の農家の副業として盛んに行われ,牧口は網の販売により財をなしたといわれる。
写真
碑文
まちしるべ No.21
漁網発祥の地・荒浜のあぞ網
越後荒浜は,日本三大漁網発祥の地のひとつに数えられています。幕末,荒浜からあぞ網を北海道・江差(えさし)へ持ちこみ,原始的だった北海道にニシン漁は飛躍的に発展しました。あぞ網は麻でできた丈夫な漁網で,最盛期には荒浜を中心に刈羽,三島に及ぶ約2000世帯が製網に従事しました。
あぞ網を北海道に持ちこんだのは,荒浜村の豪商・牧口庄三郎です。当時の北海道との交易は,手こぎの船(のち北前船)による命がけのもので,航海を終えるのに約三か月を要しました。牧口氏は柏崎人の開拓精神の原点であり,その後,多くの人が北海道へと向うきっかけとなりました。社団法人 柏崎青年会議所 2001