八朔 発祥之地
はっさくはっしょうのち
瀬戸内しまなみ街道 因島南I.C.から 東に1.5km。因島の山の奥に 真言宗 密嚴浄土寺(尾道市因島田熊町1444)がある。 この境内に「八朔発祥之地」と刻まれた 大きな黒い石碑が建っている。
八朔は 柑橘類の一種。夏みかんよりやや小さい果実で, 皮が薄く甘みが多い。江戸時代後期 (1860年ごろ), ここ因島の浄土寺の住職が 境内で発見した。この原木は 今も寺に保存されている。
自然の交配で発生した, いわゆる“偶発実生”。
因島では 今でもたくさんのハッサクが生産されているが, 全国的にみると 和歌山県の生産量が60%と 圧倒的に多い。
発祥碑は, 上部の“八朔”の八の字の部分が欠けているように見えるが, 実際は 木の葉に隠れて上部が見えないだけである。桜の枝が邪魔をするので、芽吹くまでの秋~冬が撮影に適しているのかもしれない(笑)。
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写真
碑文
八朔発祥の地
因島の柑橘の歴史は古く五百年を超え, 室町時代の初期と伝えられ, 江戸時代中期以後に盛んとなり, 嘉永年代その種類は数十種に及ぶ。 八朔は田熊村大将軍なる浄土寺の寺領に偶然発実した柑樹に美果の結実しあるを, 万延年間時の住職十五世恵徳上人の発見されたるを起源とする。
当初ジャガタと呼びならしていたが, 明治十九年八朔(旧八月一日)の頃より食し得られることから八朔と命名し, 苗木の育成と頒布を始められる。
明治四十三年, 柑橘学の世界的権威者スヰングル博士, 田中長三郎博士と同道して調査に来島されし際, 現存した六十余種の雑柑の中から八朔の優秀性を認識され, 興隆の機運となる。
大正十四年秋田熊出荷組合設立されるや村農会技師田中清兵衛, 組合長岡野佐太郎, 副組合長村上寿一氏等を先達として大市場への進出を企図し, 生産者の奉仕による試食果を送り, また独創の包装紙をつくる等販路開拓につとめること五十余年, 八朔の真価は次第に消費者に定着し, 苗木の普及も柑橘産地全域に渉り, 質, 量とも晩柑の王座へと輝しい発展を見るに到った。
茲(ここ)に八朔発祥の地の誇りと, 開発に尽瘁された先人たちの遺業を讃え, これを後世に伝えんとするものである。因島八朔顕彰会
昭和五十一年三月吉日建之