氷川下 セツルメント 草創の地

ひかわしたせつるめんとそうそうのち

地下鉄丸ノ内線 茗荷谷駅から北に500m。東大 小石川植物園の西側に簸川神社があり, その西側の“氷川坂”を南に下って 千川通りに出る その角に老人保健施設 ひかわした(文京区千石2丁目1-6)がある。この建物の前の植え込みの中に石碑が設置されている。

“セツルメント”(settlement)は スラム街などにボランティアが居住し 生活改善をはかる活動で, 通常は 保育・学習・授産・医療・法律相談などが行われ, 宗教家や学生などによって行われることが多かった。日本では 明治時代に 外国人宣教師によって始められたが,片山潜が明治30年(1897) に“キングズレー・ホール”を中心に活動したのが最初とされる。

その後 社会主義運動とともに広まり, 関東大震災のあと 東京本所に東京大学の学生セツルメントが生まれ, 学生による活動のさきがけとなった。

戦後になると, 公共団体が 貧困・教育・差別・環境問題などの対策を講ずる施設として “隣保館”を設置する動きにもつながった。
しかし セツルメント活動は 1950~1960年代がピークで, 高度経済成長時代を過ぎると活動する拠点が 減り 活動の内容が変化してきた。

「氷川下セツルメント」は 学生セツルメントの一つで, 零細な印刷関連業者が集まっていた ここ氷川下地区にセツルメント・ハウスを設立し, 診療所も併設して 活動した組織。
診療組織は平成12年(2000) に“氷川下セツルメント診療所”として 大塚に移転し, その跡地には 東京保健生協が老人保健施設“ひかわした”を開設した。

氷川下セツルメントについては 『氷川下セツルメント「太陽のない街」の青春群像』に詳しい。 この本は セツラーとして活動したメンバー60人あまりによる回想記が集められている。

写真

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碑文

氷川下セツルメント草創の地

1953年この地にセツルメント・ハウスが設立された。
戦災で疲弊した地域で健康・生活・文化の向上を求める活動は、当施設開設の礎となった。

1952年発足以来五十年を記念して
2002年春、元セツラー一同建之

地図

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文京区千石2丁目 付近 [ストリートビュー]