日義村役場 発祥の地 / 日義学校 創立の地
ひよしがっこうそうりつのち
中央本線 原野駅から北東に1.5km, 宮ノ越駅から南東に1.5km。中央線の線路脇 (木曽町役場の日義支所から 250mほど)に「日義村役場発祥の地」と「日義学校創立の地」の 両方の文字を刻んだ 黒い石碑が建っている。
ここは 中山道36番目の宿場“宮ノ越宿”。明治7年(1874) に宮の越村と原野村が合併し「日義村」となった。この村名は “朝日将軍”と呼ばれた 木曽義仲が平家討伐の旗挙げを行った地 であることにちなんで命名されたといわれる。平成17年(2005), 隣接する木曽福島町・開田村・三岳村と合併して「木曽町」となった。
明治21年(1888) に 明治の新しい地方制度として“市町村制”が制定され, 記念碑のある場所に 日義村の村役場と日義学校が建てられた。日義学校は明治42年(1909) にここから500m北東の現在地(日義中小学校)に移転。 村役場は 昭和41年(1966) に250m南東の 現在地(木曽町役場日義支所)に移転した。
写真
碑文
市町村制施行100周年記念
日義村役場発祥の地
明治22年4月
日義学校創立の地
明治21年4月
歴代村長名誌
(芳名略・12名)
木曽町への合併により
平成十七年十月三十一日を以て閉村