北海道 命名之地

ほっかいどうめいめいのち

JR宗谷本線の筬島おさしま駅から西に1.3Km。国道40号(名寄国道)を進み、北海道で2番目に長い川 天塩てしお川に沿って西方向に進むと、天塩川が大きく蛇行して北に突出した場所がある。国道から逸れて砂利舗装の道を北に入っていくと、一番奥に古くてかなり風化の進んだ木製の「北海道命名之地」碑と「北海道命名ゆかりの地」と書かれた説明板が並んで建っている。

北海道命名の地

松浦武四郎という人物については、北海道以外ではあまり知名度は高くなく、たとえば現在の北海道の地名の多くは、松浦がアイヌ語の地名を基に命名したことはほとんど知られていない。彼は幕末の1844(天保15)年以来、6回にわたって北海道(当時は蝦夷地と呼ばれた)に渡り、詳細な蝦夷地の調査を行った。

現地の調査に際しては、アイヌの人びとに案内を依頼する中で、独特の文化をもつアイヌの人びとの理解に努め、アイヌを愛し、アイヌ語の勉強も積極的に行った。当時蝦夷地に渡った和人(松前藩などの支配者たちや商人たち)の多くがアイヌに対して過酷な対応を行い、残虐行為を行ったことを知り、これを強く非難した。

明治維新後は「蝦夷地開拓御用掛」に取り立てられ、箱館戦争後蝦夷地の開発が本格化するに際して「開拓判官」となり、「蝦夷地」に代わる新しい名称として「北加伊道」などの案を政府に提出し、この案をもとに政府は「北海道」に決定した(詳しくは碑文参照)。更にこの他にもアイヌ語の地名をもとに、国名や郡名を選定していった。

しかしアイヌを酷使している実態を改善しようとする松浦に対して、商人たちは松浦の排斥運動を行い、松浦は東京詰めの役人として左遷され、このような北海道開拓のあり方に失望した松浦は役人を辞職。それ以降は北海道に関する事柄には一切関わりを持とうとはしなかった。

【参考】国道40号からの分岐ポイント

北海道命名之地碑同・説明板

写真

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碑文

北海道命名之地

安政四年七月  松浦武四郎

北海道命名ゆかりの地

北海道の名付け親・探検家松浦武四郎
 ~北海道命名の発想~

 安政四年武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し『天塩日誌』として書き残しました。

 天塩川探査の帰途中,オニサッペ(筬島の鬼刺川付近)で,故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。

 アイヌの通称である「カイナ」の『カイ』とは,この国に生まれた者ということで『ナ』とは,貴人をさす尊敬の言葉である。

 これを聞いた武四郎は,「アイヌの人々は,自らその国を呼ぶとき,加伊(かい)と言い,アイヌは ひげが長いところから,蝦夷(かい)の字を用いたが,もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊 (かい)のことである。」と考えました。

 明治二年七月十七日,武四郎は道名に関する意見書を提出。候補に,日高見道(ひたかみどう),北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道,東北道・千島道の六道を提示,この中から「北加伊道」が採用され,「加伊」の字に北方の海に通じる「海」を宛て,「北海道」名が誕生しました。

 現在の「北海道」の名は,まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。

  天塩川は,平成16年に北海道遺産として選定されました。

北海道遺産

地図

地図

音威子府村 筬島 付近