北海道 写真 発祥之地
ほっかいどうしゃしんはっしょうのち
函館市電の魚市場通停留所から 南東に200m。豊川町の豊川稲荷神社から 東川町の本願寺函館別院の間に,幅50mほどの“豊川グリーンベルト”があるが, これが 海峡通と交差する位置から 20mほど南に入った緑地の中に「北海道写真発祥之地」と刻まれた 黒い大型の石碑と函館市の建てた説明板がある。
日本の最初期の写真家として,長崎の上野彦馬,横浜の下岡蓮杖,それに 函館の木津幸吉の3人の名前が 挙げられる。
上野彦馬は文久2年(1862) に長崎に写真館“上野撮影局”を開業, 同年 下岡蓮杖は 横浜に“全楽堂”を開業, 木津幸吉は これより数年後〔元治元年 (1864)?〕に 函館に写真館を開いた。写真技術の修得先は,上野彦馬は オランダ人から,下岡蓮杖は アメリカ人から,木津幸吉は ロシア人から と, それぞれ異なるルートであったことが興味深い。
写真
碑文
北海道写真發祥之地
木津幸吉翁は越後新発田の人 安政の末箱館に来り仕立屋を業としたがロシヤ領 事より写真の術を学び 元治元年(1864)その頃新地新町と呼んだ船見町九十番地 に北海道最初の写真場を開いた 我が国最初の写真師上野彦馬の創業に遅れるこ と僅か二年であった 今年は恰も百年に当るのでこの碑を建てこれを記念する
昭和三十九年六月一日 青木肇
社団法人 日本写真文化協会北海道連合会
北海道写真発祥の地碑
この碑は,昭和39(1964)年に,社団法人日本写真文化協会北海道連合会が建てたものである。
碑文によれば,ロシア領事から写真術を学んだ木津孝吉(幸吉)が,元治元(1864)年に写真場を開いてから百年目を記念して建てたとあるが,木津の開業年はいまだ詳らかでない。
とはいえ,明治以前に開業していたことは間違いなく,文久2(1862)年に日本で初めて開業した長崎の上野彦馬や横浜の下岡蓮杖から遅れること,わずか数年である。
北海道写真発祥の地が函館だったのは,ここが開港場であり,西欧の新技術をいち早く取り入れられたからに他ならない。
なお,木津幸吉のほか,田本研造と横山松三郎も初期の函館写真界にとって,重要な役割を果たした人物である。函館市