今川氏 発跡地
いまがわしはっせきち
名鉄西尾線 西尾駅から 南東に1.2km。西尾中学校に隣接したところに 20m四方ほどの場所がフェンスで囲われ碑が建っている。
西尾市の HP には, 次のような説明がある。(アーカイブ)
中世今川荘の中心地であったと推定されている。吉良荘西条城主であった吉良長氏が次男・国氏に扶持として今川荘を与え、国氏が地名にちなんで今川氏を名乗ったことが今川氏の発祥と伝えられる。今川氏は後に今川荘を離れて駿河に移り住み、戦国大名として発展する。フェンスで囲まれた敷地内には「今川氏発跡地 愛知県」と刻まれた石柱が立ち、中央には後世に建てられた今川了俊(貞世)の供養塔がある。
写真
碑文
今川氏發跡地
愛知縣
今川
承久の乱後, 足利義氏が三河国の守護に任ぜられた。
義氏の嫡子長氏は, 義氏が足利へ帰った跡式を継ぎ, 吉良荘にちなんで吉良氏を名乗った。吉良家 は二代満氏へと伝えられた。
今川荘は長氏が少年時代に義氏から装束料として贈られた地で, 長氏は次子国氏に伝えた。国氏は 荘名の今川を名字とし, 今川氏の祖となった。
今川の地名は荘名の名残りと伝えられる。昭和五十九年一月
西尾市教育委員会