自由民権 発祥地
じゆうみんけんはっしょうち
磐越西線 喜多方駅から北東に1.5km。喜多方郵便局の東に 国道459号に面して出雲神社(喜多方市寺南2628)がある。参道を入って社殿の右裏に白い石碑が建っている。
喜多方市は 明治15年(1882) に自由民権運動の中で起きた農民たちが 圧政に反抗した「喜多方事件」が起きた場所。喜多方事件は,関連する事件を含めて「福島事件」とも呼ばれる。
明治15年(1882) 福島県令となった三島通庸は 着任するとすぐに,“三方道路”(若松から新潟・山形・栃木に通じる県道)の工事を開始した。これは 工事予算がないまま すべて住民の負担によって道路を完成させようとする計画で,人夫または人夫賃を出させるなど 農民に大きな負担をかけた。さらに工事に従事せず抵抗する農民の財産を差し押さえて競売に出すなど強引な手段をとった。
これに対して,県議会議長であった自由党の河野広中は 県会無視の県令に対して,“議案毎号否決の決議”(すべての議案を否決するという決議)を行い,自由党と県令は鋭く対立。自由党会津部は農民4000名の賛同を得て“権利恢復同盟”を結成し 裁判所に訴えたが,逆に誣告罪に問われて指導者が逮捕される事態になった。
これがきっかけで,2000名近い農民が 喜多方警察署に押しかけ,これに対してサーベルを抜いた警察官が襲いかかり,44名が逮捕されたうえに 多くの負傷者を出した。翌日には同盟の本部が襲われて多くの指導者が逮捕されると同時に河野広中も逮捕された。その結果 農民323名が罰金刑に,指導者層57名は 国事犯として東京で裁判にかけられた。この事件をきっかけに 自由民権運動は全国的に激化し,明治17年(1884) に茨城県の「加波山事件」などに発展した。
出雲神社から500m程西の“喜多方市立厚生会館”に“喜多方事件百周年記念顕彰碑”がある。
同内容について、願入寺の南西側交差点に大きな広告塔が建っている。
→ 自由民権発祥の「喜多方」
写真
碑文
自由民権発祥地