浄土真宗 開闢之霊地
じょうどしんしゅうかいびゃくのれいち
水戸線 稲田駅から南東におよそ1.3Km。国道50号から200mほど西に浄土真宗 別格本山 西念寺(笠間市稲田469)がある。寺の山門を入ると、右手に「浄土真宗開闢之霊地」と刻まれた石碑がある。
浄土真宗を開宗した親鸞上人は、比叡山で修行・得度し、29歳の時に比叡山を離れて法然上人の教えに触れて入門した。ところが、法然の率いる“吉水教団”は他の既成仏教界との対立があり、当時の後鳥羽上皇によって法然・親鸞等4人が流罪とされてしまう。
親鸞は越後国国府(現 上越市)に配流されたが、5年後に赦免され、その3年後に越後を離れ、関東各地を巡りながら42歳の時に稲田(現 笠間市)に到着し、以後20年間この地に滞在した。その間に親鸞は「教行信証」を著し、これがその後の浄土真宗の教典となった。
このことから、この地稲田の西念寺は『浄土真宗の開闢の寺』と呼ばれているが、「浄土真宗発祥の寺」と言い換えても違いはないだろう。
宗教に関する歴史は、時代ごとの政治情勢や大衆の受け入れ方、それに宗教間(派閥間)の抗争などが複雑に絡むため、整理し理解することが非常に困難である。
碑の左横には建立日が、裏面には信者名が、そして右側面由来が刻まれていたと思われる。
門前の田圃は親鸞聖人も手伝い、京都に帰ったあとも送りつづけたと言われる「吹雪谷の
写真
碑文
浄土真宗開闢之霊地
昭和十年四月建之
発起人(芳名略)
由来
鏡の御影碑帰山記念
親鸞聖人は常陸國富禅坊に旅で元仁元年正月十五日六巻の御■■■撰■の功終らせ■永遠に浄土真宗興隆の御真影はその鏡の御影を参考として同時に御刻みにたつた■のであるこれは浄土真宗立教𫔭宗富時の御姿は■の御影に依つて■すべく御精神は■元■に■つて窺ふ■■■べく御本典と共に御一宗にとつては大切な御尊影であるために故あつて■を■る六千年以前御他出の侭沓として御行衛判明せされし處種々の不思議あつて昨年春突如として富山市玉日講元釣田成重氏の許に■は■給ひしかくかは釣り他市大いに驚き旦は奇異の思ひを為し御帰山の■■■■多しとて直ちに富山縣王日講元卋話方有しに計り■惣ち御寄■相集り昭和九年九月図らずも御帰山の亊と■■つたのである■の石■■は御土産に出来た■て■る同じ■■■の御■念は申しながら不思議の亊共である併せて發起人たる釣田八重水口■で■■■有し同行方の功績を永久に由来と共に刻して篤く感■の意を表■方■■である
昭和十年四月 稲田禅坊誌