重砲兵 発祥地
じゅうほうへいはっしょうのち
京浜急行 馬堀海岸駅の東 700m。馬堀小学校の校庭の奥, テラス状に一段高くなった所に, ゴツゴツした自然石に石のプレートを 嵌め込んだ石碑が建っている。
ここ馬堀小学校と 南側に隣接する馬堀中学校, それに自然教育園を含む一帯は, かつて陸軍重砲兵学校があった場所。小中学校側には 当時の重砲兵学校の形跡は何も残っていないが, 自然教育園は かつて重砲兵学校の弾薬庫があった場所で, 当時の地形がそのまま保存され, 火薬庫を囲む分厚いコンクリートの擁壁などが残されている。
「重砲兵学校」とは, 単に 兵隊に大砲の扱いを教える学校かと思われがちだが, 実態は 将校や下士官に 戦術や射撃などに関する高度な技術を教育する施設で, 同種の学校としては 他に「騎兵学校」「通信学校」などがあった。また「重砲」とは, 口径が15cm程度以上の 大型の大砲を指し, 小型の「軽砲」と区別される。 大型の砲は 要塞などに固定して設置される「要塞砲」として, また軽砲は そのまま あるいは分解して運搬し 野戦場で使用される「野砲(野戦砲)」となる。
平成19年(2007) に、溶岩に石版を埋め込んだスタイルは改修され、スルッとしたスタイルとなった。
写真
碑文
重砲兵発祥地
永持源次謹書
当処は明治二十二年創立せる陸軍重砲兵学校の旧址なり本校は𫟯砲兵の進歩發展に貢献し昭和二十年迄に三万の将兵を練成す正に𫟯砲兵発祥の地と謂うへし然るに往時の施設は近年改廃せられ近くその姿を没せんとす全国同憂の士深く之を惜しみ由緒ある遺蹟を永く顕彰する為明治百年に方り此の碑を建つ
昭和四十三年十一月
𫟯砲校遺蹟顕彰会