海軍航空 発祥之地
かいぐんこうくうはっしょうのち
京浜急行 追浜駅から 東へ約2km。日産自動車の工場群の向かい側に「貝山緑地」があり, この入口から 坂を上って右手に2つの碑が並んで建っている。向かって右側の砲弾型の仕切りで囲まれたものが「海軍発祥之地」碑,左側の黒い石碑は「甲飛 鎮魂の碑」である。
この貝山緑地は 向かいの日産自動車などの工場があるあたりを含めて, 旧海軍航空隊の基地だった。
貝山緑地に接してすぐ西側には ボッシュ と ナブコ の工場があるが, この辺りに 海軍航空隊が置かれた際に 最初に格納庫が建てられており, その由縁をもって「海軍発祥の地」とされた。
写真
碑文
海軍航空發祥之地
明治四十五年始メテ海軍航空術研究委員会組織セラレ十月地ヲ追浜ニ卜シ 東西二百米南北六百米ノ地積ヲ劃シ其ノ一隅ニ格納庫壹棟ヲ建設ス即チ此ノ地ナリ
十一月二日海軍大尉河野三吉カーチス式水上機ヲ操縦シテ飛行ス同六日海軍大尉金子養三モ亦ファルマン式水上機ヲ操縦シテ飛行ス
是實ニ帝國海軍飛行ノ嚆矢ナリ
今茲ニ碑ヲ當時ノ格納庫ノ跡ニ建テ以テ記念ト爲スト言フ昭和十二年十一月三日
横須賀海軍航空隊
海軍航空発祥之地 記念碑 案内
右に夏島 左に野島を望見し, 海に向かって延びていた滑走路をほうふつさせるこの台地は, もと横須賀海軍航空隊の一部であり, ここには同隊の殉職者を祭った 追浜神社や気象観測所があった。
1912年, 同隊において実施された‘日本海軍の初飛行’を記念して, 当初の碑は 1937年, この台地の下, 最古の飛行機格納庫跡に建てられたが, 戦後破壊された。
この碑は1956年, 海空会によって再建されたものであるが, 周辺の敷地一帯が国より 株式会社ナブコに払い下げられたため, 工場内に保存されることになった。
戦後50年目の1995年, この碑は関係者により, 公共の場所である現在地に移設復元された。