上川神社 発祥之地

かみかわじんじゃはっしょうのち

 
撮影:
2024年11月(写真 まさ・なち さん)

函館本線 旭川駅の西、昭和通りを超えて忠別川右岸河川敷に、木柱がある。立っているのか落っこちているのか微妙ではあるが、時々誰かが立て直しているようだ。

宮下通4丁目から7丁目にかけての丘陵(義経台)は、忠別川沿いで視界が広く、アイヌの集会や砦にも使われた場所だった。明治31年(1898) に函館本線(北海道官設鉄道)が旭川駅を開設する際に、丘陵が崩され、その結果、丘陵北端に所在した神社は6・7条通8丁目へ移転された。

写真

  • 上川神社発祥之地 碑文
  • 上川神社発祥之地

碑文

上川神社発祥之地

野村権俊書

古跡義經台 坂東幸太郎

由緒

ここ忠別川一帯四丁目より七丁目にわたり高台あり、義経台と称し、古いチャシコツ(城跡で)~、和人耒旭以前は先住民族特にアイヌ集会の場所で、上川神社発祥の処(宮下通りの語源)でもあり、鉄道駅建設のため高台は崩しならされ、その北端の現在地に明治三十一年七月十六日旭川駅が𫔭かれた。

写っていない面にはおそらく「古跡義經台 坂東幸太郎」と記されているものと思われる

地図

地図

旭川市宮下通4丁目 付近