神道 発祥の地

しんとうはっしょうのち

九州本島と対馬の間,唐津港からおよそ40km北西に位置する壱岐島《いきのしま》。島のほぼ中央,県道172号の南に 月讀《つきよみ》神社がある。 鳥居の前に神社の由緒を書いた説明板があって,月讀神社が“神道の発祥の地”であると書かれている。

日本書紀の記述によると,古墳時代(西暦487年)阿閉臣事代《あへのおみことしろ》という外交官が朝鮮半島の任那《みなま》に出掛ける途中,壱岐に立ち寄った際に月読尊が現われ「自分を京都に祀ればこの国に幸いが来る」と告げた。そのため 天皇に奏上して京都嵐山(現在の松尾神社の近く)に社を創建。壱岐の月讀神社の神を勧請して壱岐の県主《あがたぬし》の祖・忍見宿禰《おしみのすくね》に祀らせた。 これが京都市の月読神社で,壱岐の月讀神社はその元宮とされている。この記述を基に,中央に神道が根付くきっかけが作られたとして,壱岐は「神道発祥の地」を名乗っている。

ちなみに 壱岐の月讀神社は延喜式内社の一つである。平安時代に編纂された「延喜式」には,全国の社格の高い神社が記録されている(式内社)が, その中に 壱岐島は24,対馬島は29の神社が記載されている。

九州全体の式内社の数は98なので,壱岐と対馬だけで 全体の半分以上を占めている。 当時の壱岐・対馬がいかに栄え 重要視されていたかが読み取れる。

写真

  • 神道発祥の地
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碑文

月読《つきよみ》神社

 御祭神  中 月夜見尊  左 月弓尊  右 月読尊
 御鎮座地 壱岐郡那賀国分東触
 境内地  六百四十九坪
 御神徳  諸行繁盛 すべての願い事がかなう
 鎮座年数 西暦四八七年月読神社に天月神命を祭り
      高御祖《たかみおや》神社には天月神命《あめのつきがみのみこと》の祖高産霊尊《たかみむすびのみこと》を祀るとあり
 御鎮座の由来 延喜式《えんぎしき》に壱岐郡 月読神社「名神大《みょうじんだい》」とあり

 月読尊《つきよみのみこと》の御事については,古事記《こじき》の上巻に,伊邪那岐命《いざなぎのみこと》・伊邪那美命《いざなみのみこと》の二柱の御親神《みおやがみ》が,天照大御神《あまてらすのおおみかみ》をお生みになられ,次に月読尊《つきよみのみこと》をお生みになられたと表されてあります。
 また,日本書紀《にほんしょき》には,「すでに大八州国(日本)および山川草木《さんせんそうもく》を生むことが出来た,何《いか》ぞ天下(あめのした)のを生まざらむ」と言われて,是《これ》に天照大御神をお生みになられ,次に月読尊をお生みになられたと記されてあり。
 また一書には日に並ぶともあります。即《すなは》ち天照大御神及び月読尊は並《ならび》に是《これ》,質性明麗《ひととなりてうるは》し。故,天地《あめのした》に照《てら》し臨《のぞ》ましむ。
 天照大御神のご神徳《しんとく》は「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)六合《あめつち》 に照り徹《とお》るほどでございます」と太陽にたとえて表されておりますので, 月読尊の御威徳《ごいとく》は,それに次ぐものとして,月になぞらえておたたえし たものと拝されます。
 太陽,月,大地,自然と共に神は存在されておられると言う事 (アニミズム)を壱岐の祖先は熟知され月が万物《》(すべて)に利益を与えるごとく邪心(よこしまなこころ)が無く玄徳《げんとく》(最も奥深い徳)を極《きわ》められていたようです。
 壱岐の県主《あがたぬし》の先祖「忍見宿祢《》(おしみのすくね)」が西暦四八七年月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行かれた。
 忍見宿祢《おしみのすくね》により,神道が中央に根ずく事になったとされております。 つまり,壱岐島が神道の発祥の地といわれております。
 京都,洛西《らくせい》,松尾大社の横に月読神社はあり。伊勢神宮《いせじんぐう》の内宮《ないくう》に月読宮, また外宮《げくう》に月夜見神社があります。壱岐島の月読神社が全国の月読社の 「元宮《もとみや》」とされております。

平成八年十月 壱岐「島の科学」研究会

地図

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壱岐市芦辺町国分東触 付近 [ストリートビュー]