谷保天満宮 発祥之地

やぼてんまんぐうはっしょうのち

南武線 谷保やほ駅から南に 1200m。NEC府中事業場の北西側,都道160号 野猿やえん街道の“日進町2”交差点から東に入ったところに”日新神社”がある。 この境内に「谷保天満宮発祥之地」と刻まれた大きな黒い石碑が建っている。

現在の「谷保やぼ天満宮」は,南武線 谷保駅の近く,甲州街道の南側にある。天満宮だから 当然菅原道真を祀る神社。亀戸天神社・湯島天満宮と共に“関東三大天神”の一つとされる。現代では 亀戸・湯島が有名なのに対して 谷保は知名度が低く,地味な感じだが,歴史は大変古く、平安時代の西暦903年に創建されてから1000年以上の時が経つ。

菅原道真は 昌泰4年(901)“昌泰の変”により太宰府に左遷されたが,同時に4人の子供達も左遷・流罪となり, 第三子・菅原道武は 武蔵国に流されてきた。道真はその2年後に太宰府で没したが,道武は父親の像を造りこの地に祀った。これが 谷保天満宮の創建とされる。

道武の子孫は代々“津戸”の姓を名乗り,鎌倉時代に津戸三郎為守がこの神社の禰宜となり, 治承5年(1181) に 神社を現在地(国立くにたち谷保)に遷した。

神社の説明板には由緒が書かれている。

余談だが,「谷保」という地名は 本来「やぼYABO」と読んだらしいが,鉄道が敷設されたとき 駅名を 「やほYAHO」としたため,地名までが「やほ」と呼ばれるようになった。“きわめて野暮なこと”を意味する“野暮天やぼてん”という言葉があるが, これは「谷保の天神」からきた言葉とされている。谷保天満宮のウェブサイトを見るに、天神さんの名称は「やぼYABO」であるとゆるやかに主張されている。


記事公開後、平成21年(2009) 3月に南武線 西府にしふ駅が開業して最寄り駅となった

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写真

  • 谷保天満宮発祥之地
  • 谷保天満宮発祥之地 背面
  • 説明板
  • 谷保天満宮

碑文

谷保天満宮發祥之地

六十四世宮司 津戸 最 謹書

この地はもと天神島と言われ,多摩川沖積地の微高地の 一つである。現在国立市谷保に鎮座する谷保天満宮は, 当初,菅原道真公の三男道武公によりこの天神島の地に創建 されたものと伝えられる。その後この天満宮は鎌倉時代の初め養和 元年(1181)に津戸三郎為守により,国立市谷保の現在地に遷座された。 現在毎年十一月三日に行われている谷保天満宮の庭燎祭(おかがら火) の神事は,これを記念するものといわれる。

奉納者(芳名省略136名)

平成十九年六月二十五日

谷保天満宮発祥之地
   記念碑建設委員会

神社名 谷保天満宮
主祭神名  菅原道眞公・菅原道武公

由緒

 昌泰四年菅公太宰府に遷らせ給う所,第 三子道武朝臣この地に配流され給う。父君 薨去の報に朝臣思慕の情に堪え給はず父君の尊容を刻み,天神島(現府中市本宿)に 鎮座す。
 養和元年十一月三日裔孫津戸三郎為守霊夢を蒙り現在の地に遷座す。天暦元年京都北野天満宮造営の折,勅使の下向ありて官社に列せられ,関左第一の天満宮と称せられ,明治十八年府社に列せられる。

主なる社宝

御宇多天皇勅額
「天満宮」一面(国指定重要文化財)
村上天皇寄進
狛犬 一対(国指定重要文化財)
源義経・弁慶・亀井六郎・伊勢三郎書写
「大磐石経」四巻

例大祭日 九月二十三日~二十五日

北多摩神道青年会

地図

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府中市日新町2丁目 付近 [ストリートビュー]