紙製荷造函 創始之地
かみせいにづくりばこそうしのち
常磐線 亀有駅から 南東に400m。亀有香取神社境内北側、新しく建造中のモダンな社務所の裏手に遷座した浮洲稲荷神社の前に 太い円柱を横に倒した形のモニュメントが置かれていて, 「紙製荷造函創始之地」と刻まれている。
香取神社の東側のショッピングセンター アリオ亀有は、平成15年(2003) まで日本板紙㈱(現 日本大昭和板紙)の亀有工場があった場所で,平成18年(2006) にその跡地を再開発して建設された。アリオ亀有建設に際し、工場敷地内にあった浮洲稲荷神社と石碑を香取神社に隣接する場所に遷座。更にその後、事情はわからないが浮洲稲荷神社が香取神社境内に再遷座し、跡地は駐車場だった隣地と合わせて利用されている。
発祥の地碑モニュメントの円柱は ロール状に巻き取られた紙をかたどったもので, 日本板紙で製造されていたボール紙をかたどっているらしい。
明治末期にヨーロッパで“カートン”(厚紙製の函)を見てきた田島志一は, それらに“紙器”という新しい訳語をつけ,明治45年(1912) に「日本紙器製造」を設立。 新型の製造機械を導入して 近代的なボール箱の製造を開始。第一次世界大戦の好況という追い風も受けて 業務は順調に拡大し,社名を「日本紙業㈱」と変更。大正6年(1917) には 亀有に 2万3000坪の用地を購入して 亀有工場を設立した。日本紙業は その後紆余曲折を経て,平成9年(1997) に社名が「日本板紙㈱」となり,平成15年(2003) に「日本大昭和板紙㈱」となって現在にいたっている。
かつて 輸送・保管用の容器は 木箱を使うのが常識だった。 ここに 段ボールでの箱が用いられるようになったのは, 軽くて折り畳みができるなどの利点があるためで,画期的な製品であった。日本で段ボール箱が広く一般に普及したのは 昭和の後期になってからのことで, 戦後においても 重量のある製品(例えばリンゴ箱)はまだ木箱が使われていた。
明治末期に「日本紙器製造」社が紙函の製造を始める以前にも,小規模に紙函を作る会社は存在していたが, いずれも内職に毛の生えた程度の手造りのものだったようで,本格的な段ボール箱を工場で量産したのは 「日本紙器製造」であった。
写真
碑文
紙製荷造函創始之地
日本板紙株式会社
亀有工場跡大正7年10月吉日創業
平成15年3月吉日建立
紙製荷造函創始之碑(ロール紙記念碑)
平成十五年三月吉日建立
平成二十三年四月吉日移設日本板紙株式会社亀有工場閉鎖に伴い、当時工場内にお祀りされていた浮洲稲荷神社を亀有工場の跡地(現在の亀有三丁目四十二番二十号)に遷座(移設)し、合わせて記念建立された紙製荷造函創始之碑を香取神社境内整備事業の一環として、この度香取神社境内に移設されました。
平成二十三年四月吉日
亀有香取神社