鐘淵紡績株式会社 発祥の地
かねがふちぼうせきかぶしきがいしゃはっしょうのち
東武伊勢崎線 堀切駅から 南に約500m。 墨堤通りが 旧綾瀬川を渡る “綾瀬橋”の南東側に カネボウ物流の建物がある。カネボウ物流の会社の構内に石碑がある。
石碑の本体は 明治22年(1889) に設置したもので,裏面には 昭和40年(1965) に工場の移転・操業停止した ことを記念するプレートが添えられている。
なお, この碑は 会社の敷地内の奥まった所にあるため, 見るには 許可が必要。
この地は, かつては 鐘紡(鐘淵紡績)の大きな工場があった場所で, 現在 その一部が カネボウ物流の本社になっており, カネボウ㈱の 登記上の本店でもある。
明治20年(1887)「東京綿商社」が ここ鐘ヶ淵に創立され, 紡績工場を創業。明治26年(1893) には社名を「鐘淵紡績㈱」に改称, ここ鐘ヶ淵の工場は 「東京工場」と呼ばれた。
鐘紡は 各地に工場を広げ, 世界有数の紡績会社となったが, 昭和44年(1969) 東京工場は操業を停止した。
2008.8
かつての カネボウ物流はKCロジスティクス社となり、その東側にカネボウ公園という小公園がある。この中に「鐘淵紡績株式会社発祥の地」の石碑が遷されて建っている。
「鐘淵紡績」は「鐘紡」「カネボウ」と社名を変更し,多角経営を推進して業容を拡大したが, 1990年代後半からの経営不振を粉飾決算で糊塗することを繰り返し,逐に平成16年(2004) から産業再生機構の下で再建がはかられた。その結果 平成19年(2007) に,カネボウは子会社の「カネボウ化粧品」を花王に売却し,同時に「カネボウ」の商標は「カネボウ化粧品」に譲渡され,カネボウ自体は解散して クラシエ・グループとなった。
この過程で 旧 カネボウグループは大幅に整理され,この地にあった「カネボウ物流」は カネボウ化粧品の系列会社KCロジスティクスと改称した。同時に カネボウ物流の会社構内にあった鐘紡記念公園は 会社の東側の一角(墨田区墨田5丁目17)に移され.「鐘淵紡績発祥の地」の石碑や 同じ場所にあった「震災記念観世音菩薩」や「大震災復興記念碑」などがここに移設された。「鐘紡記念公園」は現在「カネボウ物流公園」という名前で 近隣に公開されている。
さらに後年、カネボウ公園と改称された。
写真
碑文
鐘淵紡績株式会社
発祥の地明治二十二年五月六日創立
発祥碑由来記
此の地は古くから沈鐘の伝説があり, 江戸時代に入って 将軍徳川吉宗公が之の引揚げを下命しましたが成功せず 鐘は毎夕月の出と共に燦然として光を放ったといわれ ます。 周辺の風光明媚を愛でて 徳川氏はこゝを将軍家 専用の野菜畑とし御前栽と称しました。
明治二十年近代工業の先覚としてこの地に東京綿商社 が設立せられ, 紡績機械ニ万九千錘を英国より輸入して 東洋第一の紡績工場を建設, 明治二十二年社名を鐘淵紡績 株式会社と改称しました。 爾来近代日本の進展と共に工 場は拡大し, その技術は全国津々浦々に結実し製品は カネボウの名声と共に遠く欧米各国を席巻しました。 また過ぐる関東大震災, 東京大空襲当時その職に殉じ て斃れた者は五十余柱に及びました。
いまこゝに時代の進運と共に工場の移転を実施するに当 って鐘紡稲荷神社並びに慰霊観音像を奉安し八十余 年に亘ってうけたこの地域社会の御かげを感謝すると共に老 人と児童の憩いの場を設けて記念庭園とし永く先人の 偉業を偲ぶよすがとなることを切願するものであります昭和四十年十月二十日
鐘淵紡績株式会社
社中一同