甘蔗 創苗之地
かんしゃそうびょうのち
磯平パーク(大島郡大和村大字戸円150-1)内のきびの里には、初めてサトウキビ栽培を開始した
サトウキビは当地近くに植えられて栽培が始まった。そして3年経って黒糖を製造するに至った。
写真
碑文
史跡
贈従
五位直川智翁甘蔗創苗之地鹿児島県知事 寺園勝志書
直川智翁は、大和浜の人で慶長拾年に所用のため沖縄に渡航中台風に遭い支那に漂着し、一年半の滞在中に黒糖の生産技術をひそかに修得され、帰国のとき甘蔗の苗参本を衣類箱に隠して持ち帰りこの碑の右谷間の小さな畑で栽培しました。参本の苗はよく生育し慶長拾五年の春に製糖に着手し黒糖を六拾キロ生産しました。これが我が国の製糖の始りであります。その後翁は群島各地を廻り■業を奨められましたので黒糖は本群島の特産物となり今日では最も重要な基幹産業として発展しました。故にこの地は我が国の糖業発祥地ですから永久に記念するとともに翁の偉大なる功績を讃え、併せて今年■本群島が祖国に復帰して拾周年にあたりますのでその記念事業として全国の各有志からの寄附金でこの碑を建てました
昭和参拾八年拾弐月弐拾五日
大和村
きびの郷磯平パークの由来慶長十年(一六〇五年)大和村大和浜出身の
直 川智 翁は、琉球に渡る途中に台風にあい、中国の福建省に流されました。
当時、中国では、製糖技術を外国人に教えることは禁止されていましたがサトウキビの栽培技術と黒糖の製法をひそかに学び、帰国の際には、衣類箱の底を二重にして、命がけでキビ苗3本をかくして持ち帰り、大和村戸円の磯平のこの地に植栽しました。
キビの生育は順調で次々と増産し、三年後の慶長十五年には日本で初めての黒糖製造に成功しました。
その後、翁は、サトウキビ栽培を群島内に奨励し、技術改良に専念しました。
又、子孫には、家業として伝授を命じ、製糖技術の工場と栽培の拡大をすすめました。
幾多の時代を経て、現在ではサトウキビは奄美の基幹作物となっています。
翁の偉業を讃えるため、明治十六年には、恩勝の尾神山の麓に開饒神社が建てられ、昭和五十九年には改築されています。
大和村では、日本で初めて黒糖製造に成功したこの磯平の地に、平成四年度から4ヶ年事業で、きび公園を整備しました。
公園の面積は一一、四〇六㎡、進入道路、世界のきび展示園、展望広場、駐車場、サタ小屋、磯場への遊歩道などを整備しています。
サタ小屋は、詩季的に公開し、製糖体験もできます。