甘藷 発祥の地
かんしょはっしょうのち
九州・沖縄を通じて交通量がもっとも多いと言われる国道58号を嘉手納町役場から南に進み、“兼久海浜公園前”バス停の250mほど南。道路脇の1.5mほど高い位置に「甘藷発祥の地・野国いも宣言」と書かれた黒い石碑が建っている。近くには「野国貝塚群」という案内標識がある。
甘藷(=さつま芋)は中南米原産と言われ、日本へは17世紀に中国から沖縄に伝えられたのが最初である。
当時の沖縄は耕地の大部分はやせた畑で、台風と干ばつとが交互に襲う土地柄であったため、慢性的に飢饉が起こっていた。野國總管はこの状況を憂い、常々何とかならないものかと思っていたため、栽培が容易な甘藷の栽培法を調べ、種いもを持ち帰った。1605年のことだった。
野国村で試作を始めた甘藷は、間もなく農政の専門家である儀間真常の目に留まり、伝来から15年の間に沖縄本島全域に広まり、日常の食料として、また飢饉の際の非常食として広く栽培されるようになった。やがて薩摩藩を通して日本本土にも広まり、幕府の奨励も得て全国民がその恩恵に浴することとなった。
野國總管という名前は本名ではなく、“野國”は旧野国村を、“總管”は進貢船の事務長ともいうべき職名を表しているという。実名は現在に伝わっていない。
甘藷伝来400年を迎え、嘉手納町では野國總管の功績を称えて甘藷を「野国いも」の愛称で呼ぶとともに、野國總管と我が国における甘藷発祥の地・嘉手納を広く全国にアピールするため「野國總管甘藷伝来400年祭」を挙行。この碑を建立した。
残念ながら関東にいる限りでは「野国いも」の名前が全国に広まった様子はない。
写真
碑文
甘藷発祥の地
野国いも宣言
1605年,我が町の先達・野國總管によって中国福建省からもたらされた甘藷は,野國總管生誕の地・野國を発信基地として琉球の全ての村々へ,そして,薩摩を経て全国へと広まり,人々を飢えや飢饉から救い,全国民が等しくその恩恵に浴することになりました。今日,甘藷は未来を希求する健康食品として注目を浴びております。甘藷伝来400年の節目を迎える2005年,野國總管の偉業を奉祝する「野國總管甘藷伝来400年祭」が全町民の手により挙行されました。この慶賀を機に,我が国における甘藷発祥の地・嘉手納を全国に広く発信するとともに,野國總管を称え,甘藷を「野国いも」の愛称で呼ぶことを高々と宣言し,ここに記念碑を建立します。
2005年10月1日
野國總管甘藷伝来400年祭実行委員会
実行委員長 嘉手納町長 宮城篤実