紅赤 の 発祥地

べにあかのはっしょうち

京浜東北線 北浦和駅の北約300m。浄土宗 廓信寺(さいたま市浦和区北浦和3丁目1-522)がある。県道に面した廓信寺の門前、標石の隣に浦和市(当時)教育委員会等が建てた碑(功績案内板)が建っている。

サツマイモは江戸時代に鹿児島に伝えられ、飢饉対策の「救荒食物」として全国で広く栽培されるようになった。「甘藷先生」と呼ばれた蘭学者・青木昆陽が広めた品種は「八房はちふさ」という在来種だったが、1898(明治31)年に突然変異により新品種が発見された。

鮮やかな紅色の表皮とまっ黄な肉質の「紅赤」で「金時」とも呼ばれた。

その後の経緯は下記の碑文に書かれた通りであるが、現在でもわが国のサツマイモ栽培面積の約4%が紅赤であるという。

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碑文

サツマイモの女王

紅赤の発祥地

江戸時代以来、関東でサツマイモといえば川越で、「アカヅル」、「アオヅル」といういい品種を持っていた。

ところが明治31年(1898)秋、浦和市北浦和(当時の木崎村針ヶ谷)で、それ以上のいもが発見された。

発見者はここの農家の主婦、山田いち(1863~1938)だった。いちは皮が薄紅色の「八つ房」を作っていた。それを掘っていると皮の紅色がびっくりするほど濃く、あざやかで美しいいもがでてきた。八つ房が突然変異したもので、形も味もすばらしかったため大評判になった。

いちの家の近くに、いちの甥で篤農家の吉岡三喜蔵(1885~1938)がいた。この新しいいもに惚れ込み、「紅赤」と命名、それを広めることを使命とし、懸命に働いた。

そのため紅赤(俗称、金時)はたちまち関東一円に普及、「サツマイモの女王」とうたわれるようになった。川越いももむろん紅赤になり、その名声はますます上った。

昭和6年(1931)、山田いちは財団法人、富民協会から「富民賞」を贈られた。それはわが国の農業の発展に貢献した人に贈られるもので、農業関係では最高の賞だった。

今年、平成10年(1998)は紅赤発見から100年になる。さしもの紅赤も最近は新興の「ベニアズマ」に押されて振わなくなったが、このいもほど寿命の長かったものはない。そこで山田、吉岡両家の菩提寺で、紅赤発祥の地にある廓信寺の一角に、この功績案内板を設置することになった。

平成10(1998)年9月吉日

川越サツマイモ商品振興会
川越いも友の会
浦和市教育委員会
廓信寺

地図

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