埼玉県師範学校 埼玉県医学校 発祥之地
さいたまけんしはんがっこうさいたまけんいがっこう はっしょうのち
京浜東北線 浦和駅の南西500m。「浦和駅西口」交差点の200mほど南にある 東和銀行浦和支店前の自転車置場脇に石碑が建っている。
「埼玉県師範学校」は 明治7年(1874)に開設され, 昭和22年(1947)に 浦和高等学校と合併して 新制大学「埼玉大学」となった。
「埼玉県医学校」は 明治12年(1879)に開設され, 財政難などを理由に 3年後に廃止された。
なお, 「東和銀行」は 平成元年(1989)に 元 大生相互銀行が 名称変更した銀行である。
写真
碑文
埼玉県師範学校
埼玉県医学校
発祥之地埼玉県知事 栗原浩書
この地は, 明治7年6月埼玉県師範学校が開校され 同11年9月稲荷丸に移転するまで 県丁の小学校教員を養成した所である さらに明治9年5月医師養成のため埼玉県医学校が設立されたのも またこの地である 医学校は明治12年第一回県会において 財政等の事情もあり本郷の東京大学医学部に依頼するに如かずとして その廃止が決議され 同年8月廃校のやむなきに至った
ここに 両校発祥の地を記念しこの碑を建てた埼玉県教育委員会委員長田中重之撰文
前埼玉大学教育学部教授服部誠也書協賛
埼玉県 埼玉県教育委員会 浦和市 浦和市教育委員会
埼玉大学校友会 埼玉県医師会 浦和市医師会昭和四十六年七月二十四日建之
大生相互銀行