高原野菜 発祥の村

こうげんやさいはっしょうのむら

小海線(八ヶ岳高原線)信濃川上駅から南西に2km。野辺山から信濃川上方向に小海線と並行して走る道路が小海線を横切る少し手前,右手にある森山のふもとに 「高原野菜発祥の村」碑がある。

この「高原野菜発祥の村」記念碑は 平成元年(1989)に建立された。道路から碑を見ると「高原野菜」という文字しか見えず,その下は松やススキ等の陰になっていた。 地元では碑を建てっぱなしであまり大切にしていないようだが、人手不足と消費地の理不尽な要求などの対応に忙しくてそれどころではないのかもしれない。

隣には、平成16年(2004)に追加設置された県営畑総整備事業竣工記念碑が並ぶ。碑の前方には畑が広がっている。

高原野菜を特産品とする地域はたくさんあるが,東京地方で特に名前の通っているのはここ長野県川上村のレタスと群馬県妻恋村のキャベツという印象。八ヶ岳と秩父山塊にはさまれた野辺山高原は,標高が1200m程度と高く夏季でも冷涼であり,これを利用してレタス・キャベツ・ハクサイ・ダイコンなどの野菜の抑制栽培が行われている。育つのが遅いため他の地域で生産された野菜が少なくなったころに出荷できる。

川上村は,昭和初年に鉄道 小海線が開通して大都市への農産物の輸送が可能になるとハクサイの生産が盛んになり,高原野菜の産地に発展した。戦後1949(昭和24)年に国の蔬菜そさい生産指定地となって 次第に栽培面積を増やし,1950(昭和25)年からレタスの栽培も開始された。その後、村ぐるみで大規模野菜産地に転換を図り,更に高速道路の整備などにより野菜の出荷量も増加。冷蔵車・保冷庫による,鮮魚の輸送にも匹敵する品質・温度管理が行なわれるなどの努力が実り,現在では広大な野菜団地が生まれている。

写真

  • 高原野菜発祥の村 (2019)
  • 県営畑総整備事業竣工記念碑 背面 碑文(2019)
  • 高原野菜発祥の村 (2019)
  • 高原野菜発祥の村 (2019)
  • 高原野菜発祥の村 副碑 碑文(2019)
  • 高原野菜発祥の村 背面〜畑を望む(2019)
  • 高原野菜発祥の村 (2019)
  • 高原野菜発祥の村
  • 高原野菜発祥の村
  • 高原野菜発祥の村 副碑 碑文
  • レタス畑

碑文

高原野菜発祥の村

農林水産大臣 羽田孜謹書

高原野菜発祥の村

 川上村は 標高一、一〇〇米以上一、五〇〇米位の千曲川の源流高冷の地に八つの集落で形成されています。
 往時よりこの村はわずかばかりの水田と畑に依る農業及び林業とによりなりわいをなしていましたが 高冷地の宿命として常に冷害に脅かされ窮乏な生活を余儀なくされていました。
 現在この村の高原野菜の生産量は全国一を誇り農家一戸平均収入も全国最高位とされ昭和四十八年には朝日農業賞五十六年には天皇杯を受賞するなど高原野菜の村として比類なき実績を誇っております。
 この栄誉の陰には春風秋雨の永きに亘って不毛の地をたがやし厳しい気象とたたかい幾多の困苦にもめげず,営々として郷土の発展をねがい乍ら高冷地農業を実践してきた多くの先輩篤農家達又ついに報われること無く長逝された先駆者更に日夜を分かたぬ熱意をもって川上農業を導いた指導者など数多くの人達の実績があったことをとこしえに忘れることはできません。いま深甚なる 意を表するものであります。
 また近年の農業軽視の風潮の中にあって農民こそが物心両面に恵ま れた淳風美俗社会創造の担い手であると信じ,明るい希望に燃えて後に続く若者達への確かなあかしとし、更なる発展を念願して,立村百周年にあたりここにこの碑を建立するものである。

平成元年四月 川上村長 藤原忠彦

地図

地図

南佐久郡川上村御所平 付近 [ストリートビュー]