下仁田葱 発祥の地

しもにたねぎはっしょうのち

上信電鉄線の下仁田駅から北西に10Km。国道254号(西上州やまびこ街道)から本宿地区で和美わみ峠方向に入り、旧道の“根小屋”バス停と“小出屋”バス停の中間を古い道を北東方向に入った畑地の中。個人の住宅の庭(畑)の一隅に「下仁田葱発祥の地」と書かれたプラスチック板(大きさ18×75cm)が電柱に寄り添うように立っている。

下仁田葱発祥の地この地が発祥の地とされる所以は、1934(昭和9)年の昭和天皇の地方行幸に際して、(旧)西牧さいもく西野牧にしのまきの佐藤勝造氏等が下仁田ネギを献上したことにあるようで、昭和20年代に佐藤家の畑に「発祥の地」の標識が建てられたと言われる。

下仁田ネギは、群馬県下仁田町周辺のみで栽培される根深ネギで、一般の長ネギに比べて白根が深く(長さ20cmあまり)、また太い(直径は6~9cmのものもある)のが特徴。生食では辛味が強すぎて食べられないほどだが、加熱するととろけるような甘みがあり、非常に柔らかい滑らかな食感となる。このため基本的に薬味としてでなく、すき焼き・鍋物・てんぷらなど加熱調理に用いられる。焼きネギにして味噌・しょうゆ・マヨネーズなどを付ける食べ方は絶妙である。

下仁田以外の地域で栽培しても、特有のうま味が得られないため、生産地は下仁田地区に限られている。しかし近年は品種改良により、他地域でも栽培出来る新種の下仁田ネギが開発されているが、外観は似ていても味が決定的に異なり、甘くとろりとした食感は作り出す事が出来ないという。

下仁田ネギがいつから栽培されていたかは明らかではないが、江戸時代後期に江戸在住の大名から下仁田ネギの注文書(「ねぎ御用につき江戸急送方達」というタイトルの古文書)が残されており、この頃には既に栽培され、美味であることが広く知られていたことがわかる。このことから、下仁田ネギは別名『殿様ねぎ』と呼ばれることもある。

「下仁田ネギ」の名称が使われるようになったのは、1887(明治20)年に大阪の万国博覧会に出品した時からで、それ以後正式名称となっている。

1947(昭和22)年に編集された上毛カルタには「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれた。

写真

  • 下仁田葱発祥の地
  • 個人宅の庭先に立つ(たぶん元葱畑)
  • 電柱にくくりつけられていた
  • 町営バス(2013年6月)
  • 近くのバス停(町営バス)
  • 大名焼き

碑文

下仁田葱発祥の地

地図

地図

下仁田町西野牧 付近