烏山 小学校 誕生の地
からすやましょうがっこうたんじょうのち
京王線 千歳烏山駅から 東に500m。烏山念仏堂(世田谷区南烏山2丁目23-16)と呼ばれる小さな寺院の入口を入ると,本堂の前に黒い石碑が建っている。
烏山小学校は,明治6年(1873) に ここ念仏堂を校舎に利用して「温知学舎」として誕生した。この時の行政区画は 神奈川県多摩郡烏山村であったが,明治26年(1893)に東京府に移管された。
その後 校名は「烏山学校」となり, 昭和11年(1936) に 千歳村が東京市世田谷区に併合されて「烏山尋常高等学校」と改称。 さらに「烏山国民学校」の校名を経て,昭和22年(1947) に 現在の「世田谷区立烏山小学校」となった。
校舎は何度か移転したが,昭和39年(1964) に 現在地 世田谷区給田1丁目に移転した。
なおこの念仏堂は,室町時代に 世田谷領主であった吉良頼高が菩提寺として創建した“泉沢寺”の境内に念仏道場として 建てられた堂と言われる。泉沢寺は 16世紀に火災で焼失し,川崎市中原区の現在地に再建され, 現在は念仏堂のみが残されている。ここには 東京には珍しいとされる 石の涅槃像(横たわった釈迦像)がある。
なお,念仏堂は 平成20年(2008) 暮に解体され,再建築中である(2008.11)。
写真
碑文
烏山小学校誕生の地
世田谷区立烏山小学校は 明治六年七月一日に 温知学舎という名称で この念仏堂を校舎として 正式に開校しました
世田谷区立烏山小学校創立百二十周年を祝う会
平成六年三月吉日