上総堀 発祥地
かずさぼりはっしょうち
内房線 君津駅から南東に約7km。県立上総高校の南西に真言宗 大宮寺がある。山門の入口付近に『遺産名 小糸の「上総堀発祥地碑」』と書かれた案内標があり,古い石碑「上総堀発祥地碑」と君津市が設置した説明板が建っている。
上総掘りは,江戸時代後期に上総地方に伝わった鉄棒による井戸掘り法(突き掘り)を,より深くまで掘削できるように改良した井戸掘り技術である。人力で数百メートルの深い井戸を掘ることができ,明治20年代に完成し全国に広まった。
現在では 掘削機械の技術が発達したため,国内で井戸堀りに用いられることはなくなったが,水不足に悩み,動力の得られにくい アジア・アフリカの各地に広く採り入れられている。
上総掘りの技術は千葉県の重要無形民俗文化財に,上総掘りの用具は重要有形民俗文化財に指定されている。なお,発祥碑は古く劣化しており,表面はかなり苔に覆われているため,碑文を読み取ることができない。碑文は,君津市の教育委員会から提供していただいた。
写真
碑文
上総堀発祥地
取水は人生の大事であり掘抜井戸の歴史は古い。ここ小糸の地には化政のころから優れた職人が相ついで現われ明治の中葉には用具の考案と技術の改善とがはかられ、ついに県外はもちろん国外にも進出した。上総の井戸掘業者によるこの技法は特に上総掘と称せられて広く世に行なわれ大いに社会に貢献している。実に郷土先人の苦心と努力の賜である。
昭和三十七年九月吉辰 小糸町教育委員会建之
小糸の「上総堀発祥地碑」
鹿野山の東山麓から北山麓へかけての小糸川流域地区には,自噴井戸(掘り抜き井戸)が多く「小糸」の地名の起こりは「小井戸」にあるともいわれ,この地区には,「泉」「大井」「大井戸」「深井」など,井戸に関係した地名が多く古くからこの地を潤してきました。
このように小糸地区に掘り抜き井戸が多いのは,地質の構造によるところが大きく,清澄地畳から南総台地にかけては単斜構造で,地層がゆるやかに北西に傾いており,この地層の中に透水層と不透水層とがかさなりあっているため,被圧地下水となって北西に流れているそうです。
文化十四年に中村糠田の人池田久蔵氏がさく井を始める(君津郡誌)や,大宮寺蔵「突井戸萬記」により,掘り抜き井戸の時代的な経緯と場所が明らかになったことにより,ここ中村上大宮寺山門入口に昭和三十七年八月小糸町教育委員会により建立されました。君津市
小糸町は昭和45年(1970)に君津町、上総町、清和村、小櫃村と合併し、改めて君津町を新設、翌年 君津市となった。