騎兵 第十三連隊 発祥之地
きへいだいじゅうさんれんたいはっしょうのち
京成本線 京成大久保駅から北に800mに, 東邦大学 習志野キャンパス(船橋市三山2-1-1)がある。正門を入って右手の体育館裏手に, 「忠節・禮儀・・・」などの文字が刻まれた 白い角錐状の塔があり, 玉垣に囲まれたこの一画に「騎兵第13連隊発祥之地」碑が建っている。
この場所は 低い石塀を挟んで 隣の日本大学生産工学部と接しており, 「騎兵第十四連隊発祥之地」碑と 背中合わせの位置にある。
ここは 現在の行政区画では 船橋市(旧 津田沼町)の南端になるが, かつては 旧陸軍の“習志野錬兵場”や 軍関連施設が置かれた“習志野原”の一部であった。ここに 1901(明治34)年, 陸軍最初の“快速兵団”として 騎兵第1・第2旅団が創設され, 第13~第16騎兵連隊が置かれた。
1904(明治37)年からの 日露戦争では, 秋山好古旅団長の下で 世界最強のロシア騎兵集団を破るという戦果を挙げた。昭和になると騎兵の存在価値は薄れ自動車隊となっていくが「騎兵」の名称はそのまま残り, 1942(昭和17)年になって戦車部隊に改編された。
玉垣の中には司馬遼太郎の文学碑(「坂の上の雲」の碑)も建っており, 司馬遼太郎の自筆と思われる読みにくい文字で刻まれている。
写真
碑文
騎兵第十三聯隊発祥之地
船橋市長 大橋和夫書
騎兵第十三聯隊概史
日露の戦雲漸く急を告ぐる秋 日清戦争の経験に基づき宇内の趨勢に鑑み騎兵大部隊の必要性を痛感せる我が陸軍は明治三十二年騎兵第一, 第二旅団の編成に着手 我が騎兵第十三聯隊は騎兵第十四聯隊と共に騎兵第一旅団の兄弟聯隊として此の地習志野原の南隅千葉県津田沼町大久保(現船橋市三山)に創設され明治三十四年十二月十九日軍旗を拝受す 明治三十七年二月日露の開戦に及び聯隊は我が国騎兵の父と仰がれし秋山好古旅団長指揮の許勇躍出征 五月遼東半島塩大澳に上陸第二軍に属して曲家店、沈旦堡等の戦闘に於いて世界に名だたるコサック騎兵と交戦赫々たる偉功を奏し早くもその名声を中外に宣揚す 奉天大会戦に於いては敵の右翼を包囲せんとする第三軍の迂回運動を庇護して全軍大勝の基を拓き更に長駆奉天北方に進出して敵軍主力の側背に迫り露軍敗退の因をなせり
降って満洲事変勃発するや昭和七年六月出動 泥濘悪路を克服してその機動力を発揮し馬占山討伐を始め東辺道討伐、乾元鎮の攻略等全満各地の作戦に活躍 八年二月海拉爾に進駐対蘇戦に備えて教育訓練に邁進す 支那事変に於いては昭和十三年八月海拉爾より長駆北支に出動主力を以て歸徳一部を以て寧陵、睢縣に在って新黄河北方地域に於ける掃蕩及び陽動作戦に活躍 十四年二月更に遠く蒙彊の地へ転進主力を以て固陽一部を以て薩拉齋に駐屯 駐蒙軍に属して各種の作戦警備に任ず 特に十四年十二月の包頭戦に於いては集団司令部の危急を救い十五年の二次に亘る五原作戦に於いてはその中核として活躍敵の蠢動を封殺し蒙彊地区の安寧に寄与す この間十四年十月我が騎兵機械化施策の一環として自動車編制に改編され更に十七年十月には戦車第三師団の創設に伴い騎兵第十四聯隊と共に機動歩兵第三聯隊を編成軍旗を奉還 茲に騎兵甲聯隊たる四十余年の栄えある歴史を閉ず 然れどもその輝ける伝統は新しき聯隊に脈々として継承せられ特に十九年五月 太平洋方面の戦況非なる時支那大陸戦線に於いて敢行せられし大陸打通作戦の一環たる洛陽攻略に於けるその活躍は永く青史にその名を止むべし 但惜しむらくは敗戦による皇軍の解体と共に聯隊の栄誉を後世に伝うる術もなかりしに幸い戦後此の地に設立せられし東邦大学より記念碑建設の快諾を得 依って我等戦友有志相諮り此処聯隊発祥の地に碑を建て聯隊歴史の概要を刻し以てその栄誉を永く後世に伝えると共に亡き戦友の霊を慰めんとす 庶幾くは後人后後我等が微衷を察し祖国の安泰と発展に尽瘁あらん事を歴代集団長
第1代 宇佐美興屋 第2代 蓮沼 蕃 第3代 笠井平十郎 第4代 稲葉 四郎 第5代 内藤 正一 第6代 吉田 悳 第7代 小島 吉蔵 第8代 馬場 正郎 第9代 西原 一策
歴代旅団長
第1代 渋谷 在明 第2代 秋山 好古 第3代 本多 道純 第4代 河野政次郎 第5代 永沼 秀文 第6代 稲垣 三郎 第7代 田村 守衛 第8代 小畑豊之助 第9代 宮内 英熊 第10代 原田宗一郎 第11代 梅崎延太郎 第12代 柳川 平助 第13代 吉岡 豊輔 第14代 高波 祐治 第15代 中山 蕃 第16代 小川 正輔 第17代 黒谷 正忠 第18代 野沢 北地 第19代 大賀 茂 第20代 片桐 茂 第21代 栗林 忠道 第22代 森 茂樹
歴代聯隊長
第1代 田村 久井 第2代 小池 順 第3代 永沼 秀文 第4代 牧野 正臣 第5代 渡部為太郎 第6代 南 次郎 第7代 高須一万太郎 第8代 土屋 篤 第9代 原田宗一郎 第10代 宇佐美興屋 第11代 中山 蕃 第12代 山内 保次 第13代 星 松尾 第14代 和田 義雄 第15代 横田 卓二 第16代 猪木 近太 第17代 小原 一明 第18代 山崎 武四
記念碑建設協賛者
(芳名略)