北之薬用地黄 栽培 発祥地

きたのやくようじおうさいばいはっしょうのち

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撮影:
どなたか見てきてください!

根室本線 新得駅から東に4.3km、平らに拓かれた農地交差点近くに碑がある。すぐ近くには児玉農場(北之薬用地黄園)看板も建つ。

地黄は中国原産の多年草で、薬用として奈良・平安時代にはすでに日本に伝わっていた。国内で栽培が始まったのは江戸時代からとされている。奈良県橿原市には「地黄町」という地名があり、奈良が地黄についての重要な地域だったと考えられる。

東大寺付近から伝わっていた薬用地黄を㈱信州薬品研究所の技術により信州で栽培可能にしたのち、昭和55年(1980) に北海道新得町屈足での栽培が開始された。信州や北海道の涼冷な寄稿が原産地河南省に似ているらしい。

  • 森駒龍泉の活動記録と聖典探求録
    https://torushimohori.sakura.ne.jp/wp/250419shintoku-kuttari2/

写真


碑文

北之薬用地黄
栽培發祥地

地黄は中国の原産で、今から1300年ほど前の奈良時代の初めに中国のお坊さんが薬草として日本へ持ち込んだことかr始まります。
最初は、東大寺の付近で栽培されたものが、株式会社信州薬品研究所の努力で信州でも栽培が可能になり、1980年には北海道のこの地で栽培が始まりました。
地黄は中国の河南省が生産地で、信州や北海道の自然環境に似ています。地黄はふるさとに帰った気持ちで、温かい栽培者によって育てられています。

2000年6月11日

近畿大学薬学部教授
薬学博士 久保道徳氏 寄贈

地図

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新得町屈足 付近 [ストリートビュー]