北諏訪 小学校 開学の地

きたすわしょうがっこうかいがくのち

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信越本線・えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン・日本海ひすいライン 直江津駅から西に6km、民家の前(上越市上千原)に令和6年(2024) に説明看板が設置された。この地の歴史的経緯は、江戸時代から明治時代初期にかけて、地元の地主であった金子藤次郎が自宅に開いた個人私塾に由来する。

明治5年(1872) に学制が発布されて私塾が廃止された後、明治7年(1874) 9月、金子藤次郎の長男である栄造や地域住民が資金を出し合い、私塾の跡地に木造2階建ての校舎が設置された。これにより、「第5中学校区第2番分校」として開校した。

同年12月には「公立第34番小学附属千原校」へ改称され、明治12年(1879) に「中頸城郡第34番小学附属上千原校」、明治25年(1892) に独立して「上千原尋常小学校」となった。その後、昭和16年(1941) に「上千原国民学校」、昭和22年(1947) に「諏訪村立上千原小学校」、昭和29年(1954) に「直江津市立上千原小学校」、昭和31年(1956) に「直江津市立北諏訪小学校」への改称を経て、昭和46年(1971) の高田市と直江津市の合併に伴い「上越市立北諏訪小学校」となった。

説明板の脇には、明治17年(1884) に金子藤次郎への感謝を表す筆塚が建立されている。

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写真


碑文

北諏訪小学校開学の地

江戸期から明治初年にかけて、庶民の指定教育は私塾や寺子屋で行われていたが、明治五年(一八七二年)の「学制」の発布により公認の小学校で行われることになる。
この筆塚は金子藤次郎(号 里山)が長年にわたり、宅地内で私塾を開いていたことに感謝して、明治十七年(一八八四年)に教え子たちが建てたものである。
北諏訪小学校の礎となる校舎は、学制の精神をいち早くくみ取った金子栄造(藤次郎の長男)を始めとした千原村内五十名が、自費をもって校舎を建築したいとの願文を新潟県令に届け出て、明治七年(一八七四年)九月十九日西宿の跡地に「第三拾四番小学校二番分校」として建設された。
その後何度かの校名変更、移転増改築を経て、令和五年(二〇二三年)に北諏訪小学校は創立百五十周年を迎えた。

令和六年十月

北諏訪まちづくり振興会

地図

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