米大舟 発祥之地
べいだいしゅうはっしょうのち
信越本線 潟町駅から西に500m、潟町町内会館(上越市大潟区潟町497-1)から県道120号に出るアプローチの端にいくつか石碑が並んでいる。
その起源は享保年間(1716~1736)の初め頃にさかのぼる。当時、上越地方は旱魃や長雨による凶作に見舞われ、住民は深刻な食料不足に苦しんでいた。これを知った酒田出身の北前船の船頭、亀田伊兵衛は、故郷で救援米を集め、船で運んで住民を救ったと伝えられている。
住民は伊兵衛への感謝を込めて酒宴を催し、その席で伊兵衛が披露した踊りが米大舟の始まりとされる。元歌は山形県酒田地方の「酒田節」といわれ、北前船を通じて伝わった唄と踊りが、地域の芸能として定着したものである。
米大舟の名称は、北前船の船を「
その後、踊りは大潟区の潟町・土底浜や、旧上越市の夷浜・黒井などに広がり、それぞれの地域で独自の形を保ちながら受け継がれてきた。現在、潟町米大舟と土底浜米大舟は上越市指定文化財となっており、北前船が運んだ文化を伝える民俗芸能として、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成文化財にも位置づけられている。
写真
碑文
米大舟發祥之地
亀田伊兵衛之碑
米大舟 発祥 の地
江戸 時代 の享保 年代 の初期 、来 る日 も来 る日 もかんぱつと長雨 のため、上越 地方 は凶作 となりました。潟町 の庄屋 八木 十右衛門 が直江津 に停泊 していた弁財船 の船頭 亀田 伊兵衛 に窮状 を訴 えると、郷土 酒田 の人 たちに義米 を募 り舟 に詰 め込 んで運 んできてくれたのです。潟町 の人 たちは涙 を流 して喜 び合 い感謝 の気持 ちで酒宴 を開 きました。主賓 の亀田 伊兵衛 は、「酒田 高野 の浜 米 ならよかろう」と歌 いながら踊 りました。
その動作 は、いかにも優美 で、典雅 であり、調 和 が実 によくとれていたので、見 ていた人 たちも一緒 に踊 り出 しました。これが米大舟 となったわけです。伊兵衛 は、その後 、この地 が気 に入 り、妻子 を連 れて移 り住 み、踊 りを指導 して現在 も歌 い踊 り継 がれています。
この碑 は、昭和 三十七年 、米大舟踊 りを伝 えた「亀田 伊兵衛 」の威徳 を永 く偲 ぶために米大舟 保存会 が建立 しました。令和3年度地域活動支援事業
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