米大舟 発祥之地

べいだいしゅうはっしょうのち

 
撮影:
2026年11月(写真 King くじら(松井世代)さん)

信越本線 潟町駅から西に500m、潟町町内会館(上越市大潟区潟町497-1)から県道120号に出るアプローチの端にいくつか石碑が並んでいる。

米大舟《べいだいしゅう》は、新潟県上越地方に伝わる民謡・民踊であり、北前船の船乗りによって伝えられた郷土芸能である。

その起源は享保年間(1716~1736)の初め頃にさかのぼる。当時、上越地方は旱魃や長雨による凶作に見舞われ、住民は深刻な食料不足に苦しんでいた。これを知った酒田出身の北前船の船頭、亀田伊兵衛は、故郷で救援米を集め、船で運んで住民を救ったと伝えられている。

住民は伊兵衛への感謝を込めて酒宴を催し、その席で伊兵衛が披露した踊りが米大舟の始まりとされる。元歌は山形県酒田地方の「酒田節」といわれ、北前船を通じて伝わった唄と踊りが、地域の芸能として定着したものである。

米大舟の名称は、北前船の船を「弁財船《べざいせん》」、船乗りを「弁財衆《べざいしゅう》」と呼んだことに由来するという。弁財衆の踊りが訛って「米大舟」になったとされ、昭和3年(1928) に現在の表記になったという伝承も残る。

その後、踊りは大潟区の潟町・土底浜や、旧上越市の夷浜・黒井などに広がり、それぞれの地域で独自の形を保ちながら受け継がれてきた。現在、潟町米大舟と土底浜米大舟は上越市指定文化財となっており、北前船が運んだ文化を伝える民俗芸能として、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」の構成文化財にも位置づけられている。

写真

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碑文

米大舟發祥之地

亀田伊兵衛之碑

米大舟《べいだいしゅう》発祥《はっしょう》の地《ち》

江戸《えど》時代《じだい》の享保《きょうほ》年代《ねんだい》の初期《しょき》、来《く》る日《ひ》も来《く》る日《ひ》もかんぱつと長雨《ながあめ》のため、上越《じょうえつ》地方《ちほう》は凶作《きょうさく》となりました。潟町《かたまち》の庄屋《しょうや》八木《やぎ》十右衛門《じゅうえもん》が直江津《なおえつ》に停泊《ていはく》していた弁財船《べんざいせん》の船頭《せんどう》亀田《かめだ》伊兵衛《いへえ》に窮状《きゅうじょう》を訴《うった》えると、郷土《きょうど》酒田《さかた》の人《ひと》たちに義米《ぎまい》を募《つの》り舟《ふね》に詰《つ》め込《こ》んで運《はこ》んできてくれたのです。
潟町《かたまち》の人《ひと》たちは涙《なみだ》を流《なが》して喜《よろこ》び合《あ》い感謝《かんしゃ》の気持《きも》ちで酒宴《しゅえん》を開《ひら》きました。
主賓《しゅひん》の亀田《かめだ》伊兵衛《いへえ》は、「酒田《さかた》高野《たかの》の浜《はま》 米《こめ》ならよかろう」と歌《うた》いながら踊《おど》りました。
その動作《どうさ》は、いかにも優美《ゆうび》で、典雅《てんが》であり、調 和《ちょうわ》が実《じつ》によくとれていたので、見《み》ていた人《ひと》たちも一緒《いっしょ》に踊《おど》り出《だ》しました。これが米大舟《べいだいしゅう》となったわけです。
伊兵衛《いへえ》は、その後《のち》、この地《ち》が気《き》に入《い》り、妻子《さいし》を連《つ》れて移《うつ》り住《ず》み、踊《おど》りを指導《しどう》して現在《げんざい》も歌《うた》い踊《おど》り継《つ》がれています。
この碑《ひ》は、昭和《しょうわしょうわ》三十七年《さんじゅうしちねん》、米大舟踊《べいだいしゅうおど》りを伝《つた》えた「亀田《かめだ》伊兵衛《いへえ》」の威徳《いとく》を永《なが》く偲《しの》ぶために米大舟《べいだいしゅう》保存会《べほぞんかい》が建立《こんりゅう》しました。

令和3年度地域活動支援事業

地図

地図

上越市大潟区潟町 付近 [ストリートビュー]