能 発祥地 田原本
のうはっしょうちたわらもと
近鉄橿原線 田原本駅と、近鉄田原本線 西田原本駅の間にあるロータリーの北の隅の観光案内板の脇に石碑を設置、令和8年(2026) 7月に除幕となった。
田原本町が「能楽発祥の地」とされる背景には、古代からこの地域に芸能文化が存在したことがある。奈良時代には現在の村屋神社周辺に
町内の
令和8年7月8日 田原本駅前広場にて
— 田原本まちづくり観光振興機構 (@TawaramotoKanko) July 9, 2026
「世界無形文化遺産 能 発祥地 田原本」石碑の除幕式が行われました。
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この石碑は、大和磯城ライオンズクラブ結成50周年の記念事業として建立されたものです。
田原本町は、能の歴史と深いつながりを持つまちです。… pic.twitter.com/ZWrIXpgr05
写真
碑文
世界無形文化遺産
能 発祥地 田原本
竹田之庄
円満井座
金春座寄贈 大和磯城ライオンズクラブ
CN50周年記念 令和8年10月
能の歴史
飛鳥時代
- 552年 仏教伝来と共に、申楽・能の基になる「舞楽」「雅楽」が伝わる。
聖徳太子が田原本町に居住する渡来系氏族秦河勝に六十六曲の「舞楽」と面を伝授する。- 奈良時代
- 752年 東大寺大佛開眼供養の時、日本・新羅・唐・ベトナムの「舞楽」「雅楽」奉納。
唐より散楽が入りこれが申楽の基との説があるが、散楽は曲芸・奇術等大衆芸能で、後の申楽の芸能とは異質で、申楽は「舞楽」「雅楽」の芸風を継承している。
朝廷・式部省が、大和国式下郡村屋邑に、「舞楽」「雅楽」の教処「楽戸郷」を設置後、「舞楽」「雅楽」の充実の為「楽戸郷」を廃止「舞人」「雅人」は各地社寺へ。- 平安時代
- 中期 藤原明衡により著された「新猿楽記」の芸能の内容は、奈良時代唐より入った散楽の曲芸・奇術等と同じ大衆芸能で、「新猿楽記」と題名とするが後の申楽には継ながらない。
- 鎌倉時代
- 14世紀 田原本町法貴寺・海の上より、この時代の「翁面」初めて出土。後、越前朝倉遺跡からも出土。
この頃 興福寺荘園「竹田東庄」(現法貴寺付近)に、竹田座(竹田大夫)が成立。
この頃 大和四座が成り、円満井座(後の金春座)が四座を統括し、各地での「申楽」に派遣。- 南北朝時代
- 足利三代将軍義満が京・今熊野で観阿弥・世阿弥「申楽」観能。
- 室町時代
- 味間・福厳寺で、観阿弥 禅学修行の為参学 世阿弥 申楽の芸に「禅宗」の教えを学ぶ。
永享元年・1429 足利将軍義教により、世阿弥 佐渡へ遠島される。
永享7年・1435 金春禅竹の佐渡・世阿弥への金品の支援と世阿弥妻寿椿禅尼の教育の禮状(佐渡状)。
嘉吉元年・1441 世阿弥 佐渡遠島より許され金春禅竹か、都の妻寿椿禅尼の元へ世子不在の為、世阿弥の芸能を娘婿・金春禅竹に伝える。世阿弥夫妻の供養田福厳寺へ田一反宛寄進。
金春禅竹能楽伝書 禅竹自筆 金春系図(奈良県指定文化財・宝山寺蔵)にこの時代までの申楽の業態が見える。- 安土桃山時代
- 織田信長 興福寺の寺領 召上げこれにより「竹田之庄」地名消滅。
文禄二年・1593 豊臣秀吉、大和・近江・丹波・摂津の申楽座を大和四座に統一。金春座が頭主。- 江戸時代
- 田原本領主 平野長勝 家臣の内二十二名の金春役者を抱え、月二回から三回の演能を行う家臣・町衆も仕舞・謡を嗜むもの多い。
- 昭和時代
- 昭和30年代まで町衆が「田原本金春会」を結成、金春晃実師を招いて仕舞・謡の指導を受ける。
- 平成時代
- 平成20年・2008 能・文楽・歌舞伎が「世界無形文化遺産」に登録。
平成26年・2014 田原本まちをすきになる会が、「第一回・田原本の能」開催 以降毎年開催。- 令和時代
- 令和8年・2026 大和磯城ライオンズクラブが、近鉄田原本駅西駅前広場に「世界無形文化遺産 能 発祥地 田原本」石碑建立。
歴史資料及び伝承より 文責 大和磯城ライオンズクラブ
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