能楽 発祥の碑

のうがくはっしょうのひ

学研都市線の京田辺駅から西に 1.3km。「一休寺」として知られる「酬恩庵」の門前から“一休坂”を西に歩いて 200mのところに 「薪神社」がある。境内に入ってすぐ, 自然石に「能楽発祥の碑」と刻まれた碑が建っている。

能楽の歴史は, 奈良時代までさかのぼる。当時大陸から渡ってきた芸能に「散楽」があった。 楽器・歌・踊り・物真似・曲芸・奇術などを組みあわせた芸で, 朝廷の保護を受けていたが, 平安時代以降は「猿楽」と呼ばれ 滑稽な物真似が主体の芸となり, 各地に分散して集団を作って 大きな寺社などの保護を受けて 祭礼などで芸を演じていた。

鎌倉中期以後 猿楽は, 寺社公認のもとに「座」の体制を組み, 笑いの芸能(狂言)に 当時流行していた 「今様」「白拍子」などの歌舞的要素を取り入れた 物語的要素の加味された楽劇の形を作り上げた。

南北朝時代になると, 奈良・興福寺に奉仕する「大和猿楽四座」(後の 観世・金春・金剛・宝生座)の一座 から 名手観阿弥が現れた。卓越した演技力により人気を博した観阿弥は, 新しい音曲を工夫して成功を収めた。
観阿弥の偉業を受け継いで 今日まで伝わる能の芸術性を確立したのが世阿弥で, 将軍の寵愛を受け 一層優美な舞台芸術に高めた。

薪神社の近くには一休寺(酬恩庵)があり, その山門近くには 薪神社に 能楽発祥の碑があることを 示す 案内碑が建っている。また 山門前には「薪能金春芝跡」という碑が建っている。

薪能たきぎのう金春芝こんぱるしば旧跡あと

京田辺市薪里ノ内

この付近で金春禅竹が一休禅師に猿楽の 能を演じ観覧に供したと伝えられている。
金春禅竹(1405~1570)は室町時代の能役 者・能作者で, 大和四座のひとつ円満井座(えんまいざ) (金春座)の太夫金春弥三郎の子である。
能楽の大成者世阿弥の娘婿となり, 世阿弥の 能を発展させ, 金春流隆盛の基礎を固めた。
「六輪一露(ろくりんいちろ)之記」(1455年成立)などの芸術 論がある。
応仁の乱(1467~1477)の際, 一休が 酬恩庵に難を避けていた間, 禅竹も薪の 多福庵に移り, 二人の間に交流があったとされる。
一休も禅竹の影響で能に関心を示し, 謡曲の 「山姥」「江口」は一休の作とも伝えられる。

京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会

なお, ここから4kmほど北西にある 月読神社に「宝生座発祥の碑」が建っている。

写真


碑文

能楽発祥の碑

能楽は薪能即ち金春能に初まり
次に宝生能 観世能は大住に
金剛能は大和に発祥した

昭和六十一年十一月文化日
文学博士 志賀 剛

能楽発祥の碑 案内碑能楽発祥の碑

地図

地図

京田辺市薪里ノ内 付近