幸若 音曲 発祥の地

こうわかおんぎょくはっしょうのち

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福井鉄道福武ふくぶ神明しんめい駅から西に5.5km、または北陸本線 北鯖江駅から西に7.5km、越前町社会福祉センター朝寿殿(丹生郡越前町西田中8-20-1)玄関脇に石碑がある。

桃井直詮なおあきの幼名は幸若丸だった。幼くして父を亡くした直詮は、比叡山で修行。容姿、音声ともにすぐれ音曲で評価され、後に参内して後小松上皇に舞を披露。後花園天皇からは「幸若舞太夫」の称号を受け評価をさらに高めた。

やがて足利将軍義政より故郷の越前に所領を得西田中地区に移住し、「幸若」という一座を開くことになる。

写真


碑文

幸若音曲発祥の地

南北朝時代の名将裔桃井直詮は、明徳四年(一三九三)この地に誕れ、天性の美音をもって声明の節で語った平家物語などが天聴の栄に浴し、「幸若音曲」の名を賜わった。
この秘芸は戦乱の中にも平和を望んだ戦国諸将たちに愛好され、厚い庇護をうけ泰平の江戸時代まで永く栄え続けた。
明治維新に至り雅曲は姿を消しまぼろしの芸能となったが、この栄華は久遠に伝承すべきである。
朝日町合併三十周年、待ちの平和と繁栄を祈念して、北家館趾地にこの碑を建てるものである。

昭和六十年四月(一九八五)

朝日町長 樋村正雄

地図

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丹生郡越前町西田中 付近