真室川 音頭 発祥の地

まむろがわおんどはっしょうのち

奥羽本線の真室川駅構内に「真室川音頭発祥の地」と書かれた看板が建っている。 その右側は「ようこそ梅の里真室川町へ」という 観光案内の看板になっている。

この町は 全国的に知られている「真室川音頭」の発祥の地。メロディーは 元来北海道で歌われていた 仕事唄「ナット節」がこの地に伝えられてアレンジされ, これに 公募による歌詞をつけて「真室川音頭」になった。毎年7月には,全国から集まった歌好きがのどを競い合う“真室川音頭全国大会”が開催される。

真室川町は 面積の80%が森林で,昔から林業が主産業。 良質のうるしを産するため 漆器が特産品となっている。林業の町であることを主張するためか,失礼ながら真室川駅は場違いだと思うほど立派な 2階建ての建物である。

写真

  • 真室川音頭発祥の地
  • 立派な真室川駅

碑文

明治のころ,北海道を中心に盛んに歌われていた「ナット節」が,大正末期頃から本州の漁港でも 歌われるようになりました。真室川町出身の近間ナカエさん(故人)が昭和二年ごろから宮城県女川 の料亭で働いていた時,常連客の漁師から「ナット節」を習い覚え,その後真室川にもどり働いた 料亭「山水」で,これを元祖とし創作を加え歌った曲が「山水小唄」と呼ばれ,これが「真室川音 頭」の始まりとなったと言われています。
 当時の真室川は,真室鉱山(金・銀鉱山)や軍用飛行場建設に携わる労働者・兵隊でにぎわい, 山水小唄は料亭などの同業者や労働者・兵隊により歌い広められました。戦後,これらの労働者や 兵隊が,郷里や全国津々浦々に移り住んだことが全国的に「真室川音頭」が広まるきっかけとなり ました。更に,昭和二十年代には原曲やアレンジ曲が度々レコード化され,時に林伊佐緒による 「真室川ブギ」がヒットし一躍全国に「真室川」の名が広まりました。
 昭和二十七年には町が広く歌詞を募集し,数十点の応募作品の中から選び出されたものが正調 「真室川音頭」です。
 現在も全国で愛唱されている代表的な民謡のひとつであり,毎年県内外から多くの参加者を集め 「真室川音頭全国大会」が開催されています。

私しゃ真室川の梅の花
コーオリャ
あなたまたこのまちの鴬よ
(ハァコリャコリャ)花の咲くのを待ちかねて
コーオリャ
蕾のうちから通って来る
(ハァドントコイドントコイ)

地図

地図

真室川町大字新町 付近 [ストリートビュー]